福岡ペン俱楽部組織図

理事紹介

代表理事

飯田 和郎(1960年 東京都生まれ)

 振り返ると、「思いもしなかった」の連続でした。新聞記者としての初任地は希望した東北と真反対の佐賀。九州に居続けるつもりになったのに東京へ、海外へ。50歳を過ぎてからは、新聞社と似て非なる放送局へ。双六のように振り出しに戻ったのが九州でした。ペン倶楽部の代表理事を任されるのも、やはり「思いもしなかった」です。でも、これも新しいチャレンジです。リタイヤしても、九州メディア人の意気と知恵を、皆さんと共有できればと願っています。

(毎日新聞元外信部長、RKB毎日放送元専務取締役)

理事

岸本 隆三(1951年 大分県姫島村生まれ)

 倶楽部をつくった川崎隆生が活動を始めた直後、急逝して3年余になる。遺志を継ごうと途中で柄にもない代表理事も務め講演会開催、年2回になってしまったが、機関誌発行など続けた。本当はもっと多岐にわたるはずだった。力不足だった。今回、国際感覚もあり、新聞、テレビで活躍、原稿もうまい若い飯田和郎に代表理事になってもらった。今までより活発な倶楽部となる。飯田を支えるためにも原稿を書き続けたいと思っている。

(読売新聞西部本社元編集局総務、スポーツ報知西部本社元社長)

理事

吉田 宏(1956年 福岡市生まれ、北九州市八幡西区育ち)

世の中が悪くなったのはマスコミのせいだと言われて久しい。現役の頃は、それでも悠長に構えていた。単なる読者に戻った今、マスコミ悪者説にかなり染まった。過去を棚に上げて、「もう少し闘ってくれよ」というのが正直な心情だ。政治報道でいえば、インサイダーとしての自覚がなさ過ぎると感じる。政治とメディアはどこまでも「渾然一体」だからこそ、報道には堂々たる主張が求められるのに、誰に憚るのか。人生の仕上げに投じる一石を握りしめている。

(西日本新聞元経済部長、前福岡市長)

理事

藤田 中(1958年 愛媛県松山市出身)

 九州の星空は美しい。近郊の山々に登り、満天の夜空を仰げば、無数の星々が青、白、赤、橙…と個性豊かな光を投げかけてくれる。そして九州が育んだ思想や歴史、文化、政治、経済…もそんな星々に負けず煌めいている。福岡ペン倶楽部の理事として、そうした星々を探し、見つめ、記録したいと考えている。コンステレーション(星座)のように、連なり、輝ければと思う。

(西日本新聞元文化部長・論説委員、元久留米大学教授)

理事

長井 政典(1954年 福岡市生まれ)

 「梁山泊」の世界にあこがれて新聞記者の世界に飛び込んだ。新人で熊本に赴任した時はサツ回り、司法、行政の世界を走り回ったが、深夜になると記者仲間と酒をあおり侃々諤々の毎日だった。「九州は独立するぞ」。そんなことを本気で語り合える熱気があった。しかし今は、東京一極集中が加速するばかりでつまらなくなった。九州が日本を変える導火線とならなければ。ペン倶楽部に顔を出すとまた「梁山泊」の世界に迷い込んだ気分になる。

(西日本新聞社元取締役、福岡県青少年育成県民会議会長)

理事

長 秀俊(1958年 福岡市生まれ)

 企業の枠に閉じ籠り長いこと自分を語ることがなかった。メディアが絶えず進化していく中、このような形で表現の機会を頂き感謝している。「KLASS(くらす)」が如くパンチラインは明らかのものにして行きたい。

(元野村證券投資銀行部門、現EV企業経営企画部長)

理事

上原 幸則(1950年 鹿児島市生まれ)

 福岡ペン倶楽部発足に際し岸本隆三氏の誘いで入会。「君の原稿は時折、面白いから金を出してでも書き、投稿を」と言われ、一般会員を継続。理事に推され高校の先輩から言われた「頼まれたらやってみよ」を思い出し承諾しました。消滅可能都市、東京一極集中是正が課題の今「九州自立の思想拠点」を目指す趣旨は立派です。農業、工業、漁業と均衡のとれた九州は独立してもよいと思います。倶楽部の品位を落とすことのないよう努めます。

(読売新聞西部本社社会部記者、整理部次長、編集部長、関連会社役員)

理事

森山 豊(事務局長兼務・1958年鹿児島県生まれ)

 国際会議、国際博覧会等の大型イベントに関わってきた。公共性の高い仕事が多かったため、社会性や公平、公正は常に心掛けてきたつもりだ。大相撲のように東京、仙台、名古屋、大阪など国内を動き回ってきたが、ひょんなことから福岡に住み、一番長くいる街になった。会員が、集まりやすく発信しやすい場を創るべく精進します。

(株式会社プロジェクトワークス代表)

初代代表理事(故人)

川崎 隆生(1950年~2021年4月逝去)

戦後まもなく那珂川湖畔の旅館に「福岡プレスクラブ」という看板が掛けられた。夕刊フクニチ、熊日など九州の地方紙の記者が集まった。看板をリアカーに乗せ、雁ノ巣の米軍駐屯地で「民主化の先頭に立つ」と言って酒を仕入れていたという。それから75年。今度は「九州自立の思想拠点」を標榜して「福岡ペン倶楽部」の看板を出した。米軍に頼らずとも酒はある。一度のぞいてほしい。面白いヤツがたむろしている。

(西日本新聞社相談役・前社長)