投稿者:安部 光壱

 大岡越前守の「子どもの奪い合いの話」を知っている人は多いだろう。
10歳になる男の子を育てていた母親に突然産みの母なる女性が訪ねてきて、どちらが本当に親権を取るかの裁判になった話である。
 双方、自分が母親だと主張するが決着がつかず、大岡越前守は、双方に子どもの両腕を持たせて、引っ張りっこをして勝った者を母親とすると命じた。
 そこで、双方、思いっきり子どもの両手を引っ張り上げたが、子供は悲鳴をあげて泣き出した。すると、育ての母親は、痛がって泣いているのをみてパッと手を離した。
 その途端、産みの母親と名乗る女性は「勝った!」と飛び上がって喜んだ。育ての親は観念して、「どうぞこの子大事にして可愛がってあげて下さい。」と申し述べた。勝った母親は、「そんな事言われなくてもわかっている。大体、私からこの子を奪って、大嘘つきも甚だしい!」と言った。
 ところが、大岡越前守は、その勝ち誇った顔の女に、「だまれ!お前は、痛がって泣いているこの子の声が聞こえなかったのか?」「ただ勝てばいいと思って子どものことなど構わずに自分のことだけ考えて手を引っ張ったお前が本当の親であるはずがない!」
 そういって、育ての母の方へ子供を引き渡したと言う話。
 これは、大岡政談の最も有名な話だが、この様な裁判は、今の裁判では到底出来ない。なぜかと言うと、今の裁判は、「証拠に基づかなければいけない」からだ。この判決には証拠がない❗
 親子を証明する手段はその当時はもちろんないし、証文などの客観的証拠もない。大岡越前守のしたことは、子どもの腕を引っ張ると言う証拠方法だが、こう言うやり方は、検証というのでもなく、鑑定でもない。せいぜい、近いといえば、家裁調査官に、どちらが母として相応しいかの報告書を出してもらう事ぐらいだろう。
 もう一つ、現代の裁判で、あり得ないことは、大岡越前守は、力尽くで引っ張って勝った方に子供を引き渡すと言っているのに、勝った方に勝たせたのではなく、負けた方に勝たせた。これは、約束違反である。
 負けるが勝ちと言う日本人好みの解決方法がここにも現れているが、裁判所では、この方法は取れない。
 斯くして、現代の紛争解決のための裁判所の手法は限られたものになる。だから、それでも良しとするのか、もっと真の紛争解決を求めようとするのか、意見の別れるところだろう。
 しかし、大岡越前守のこのジャッジを振り返ると、私には、国民の法への盲信が、益々深刻化する。今のコロナ社会の中で、実は妥当な結論を考えつく努力を自ら失っている様な気がしてならない。(7月7日)