投稿者:上原 幸則

昨日(2022年4月21日)夜、NHKテレビの番組「サラメシ・あの人が愛した昼メシ」を見ていたら千葉真一さんが紹介され、母校との縁を思い出した。
 千葉さんは、福岡市博多区生まれで日本を代表するスター。華麗なアクションでテレビや映画で活躍、2021年8月に82歳で亡くなった。
 24歳の1963年(昭和38年)6月、東映映画「海軍」のロケで鹿児島県立甲南高校を訪れた。映画は同校の前身、旧鹿児島二中の卒業生で太平洋戦争開戦時に特殊潜航艇でハワイ・真珠湾に突入して戦死した横山正治少佐をモデルに作家の岩田豊雄が執筆した「海軍」を基に制作された。
 主演の谷真人役(横山少佐がモデル)には、北大路欣也さん。千葉さんは、谷真人と親友役の牟田口隆夫だった。牟田口の妹で谷を慕うエダが三田佳子さん。校庭であった軍事教練のシーンには在学中の多くの生徒がエキストラで参加、ドームが特徴の三階建ての校舎をバックに模造の銃を手に、きびきびと動いた。当時の生徒たちは、二中時代と同じ丸刈りで「長髪なら切ってもらおう」と考えていた東映側は助かったという。身体検査の場面では、褌姿を要望されたが、生徒たちが恥ずかしがり、トランクス姿だった。柔道場では北大路さんや千葉さんと部員が乱取りをするシーンの撮影もあった。 
 牟田口は、谷と同じく海軍兵学校を志願するが、乱視で断念、画家を目指す。この映画では、まだ千葉さんのアクションシーンは無かったが、若者らしいエネルギッシュな演技が光る。校内でのロケは数日に及び、撮影を終えると、前年に完成したプール(25㍍)によくいた。体育大出身らしく、身体は均整がとれ、さっそうと泳いでいた。
その後、人気テレビドラマ「キイハンター」や映画で切れのあるアクションを披露、一時代を築き映画監督も務めた。
 ロケから59年。エキストラで出演した生徒は後期高齢者となり、在校生でロケのあったことを知る者は少ない。1930年(昭和5年)に完成して映画に登場した校舎(国の登録有形文化財)はそのままだ。
 映画では、出撃前にエダが結婚を決意して谷の下宿を訪ねるが「二人の青春を美しいものしておこう」と言われて別れる。軍神となった谷ら9人の国葬にエダは谷の母親(杉村春子さん)と東京まで行き参列する。この時は気丈な二人だったが、母親は鹿児島の家に帰ると葬儀の場を抜け出して井戸端につかまり、泣き崩れる。サブタイトルには「青春のすべてを祖国に捧げた日本の恋人たち」とあるが、自分にとっては反戦の映画となっている。
 ウクライナでは、恋人や家族を避難させた後、男たちは銃を持ってロシアと戦っているという。いったい何万人の人が泣くと、この戦争は終わるのだろう。