投稿者:上原幸則
7月15日午前4時。外は激しい雨。博多祇園山笠中止の知らせはない。急いで櫛田神社へ。国体道路は見物人でいっぱい。人の通行も禁止。仕方なく出発点近くに潜り込み大太鼓が鳴るのを待つ。山を担ぐ男達のりりしい顔。午前4時59分、一番山の大黒流れが「ヤー」のかけ声で走り出す。隣の中年男性が「命をかけて打ち込んでいる姿を見ると涙が出ますね」。この共感を求めて見に来ている。追い山笠が終わると梅雨明けが近く夏本番、だが心に少し穴があく。
寂しさを埋めようと、7月26日福岡市から約350㌔の鹿児島県南薩まで車を走らせた。国道226号線沿いの南さつま市坊津町秋目に鑑真像が鎮座している。聖武天皇の時代、日本の仏教界では戒律が確立されておらず、唐から高僧を招く必要があった。鑑真(688-763)が743年から渡航を試みるが嵐や唐側の妨害で困難を極め、753年(天平勝宝5年)の12月、6回目の航海で秋目に漂着した。長年の苦労がたたり失明していた。大宰府経由で翌年、奈良の平城京に着いた。東大寺大仏殿に戒壇を築き、戒律制度を整え、759年(天平宝字3年)には唐招提寺を建立、今は世界遺産となっている。
上陸した砂浜を見下ろす鑑真記念館には複製の鑑真像のほか、足跡が分かる資料が展示されている。来館者用の伝言ノートには中国人名で「日中友好の歴史の深さを知った。戦争はいやです」と書かれていた。
鑑真記念館から国道を200㍍ほど下ると、映画「007は二度死ぬ」のロケ地の案内板とション・コネリーと丹波哲郎のサインが刻まれた記念碑がある。007シリーズは英国の諜報部員ジェームズ・ポンドが活躍するスパイ活劇。ロケがあったのは1966年(昭和41年)。秋目が世界的映画のロケ地になぜ選ばれたか定かではないが、砂浜や切り立った岩の島の美しい景色がスクリーンに映えると想像されたのであろう。ロケ本体がいた指宿市から日に5,6回ヘリコプターが飛んできて人や物資を、鉄板を敷いた畑に降ろしていたという。
記念碑は1990年(平成2年)、ロケ地に選ばれた誇りを後世にと地元の青年たちが資金を募って建てた。
近くで民宿を営む上塘照哉さん(63)によると、撮影から58年たった今でも一年に百人ほどが「007の聖地」として訪ねてくる。封切り当時のポスターに見入るファンも多い。
坊津は博多、伊勢・安濃津とともに日本三津と言われたが、一角の秋目は小さな港。鑑真から1200年後にション・コネリー主演の映画の舞台、歴史的には大きな港だ。
毎年12月には唐招提寺から高僧が見えて記念館で法要が執り行われる。高僧は関西のメディアがインタビューを申し込んでも、なかなか難しいという。民宿で通された部屋は高僧が泊まられた和室だった。最近、仏教に少し関心を持ってきたとは言え大した反省もせずビールを飲んで寝ただけだったが、眼が覚めると少し徳を積んだような気がした。(8月5日)