2022年10月から23年5月まで番外も含めて福岡ペン倶楽部で7回にわたり連続講座を開いた歴史学者で、大阪大学名誉教授の猪飼隆明(いかい・たかあき)氏が5月14日、すい臓がんのため死去した。熊本市在住、80歳だった。告別式は近親者で行い、後日お別れの会を開くという。読売新聞などが報じた。
専門は日本近代史。福井県武生市(現・越前市)生まれ。京都大学卒。熊本大学教授を経て大阪大学教授。著書に『西郷隆盛―西南戦争への道―』(岩波新書)『西郷南洲遺訓』『「性の隔離」と隔離政策』など多数。3月には『維新変革の奇才 横井小楠』(KADOKAWA)が出版された。
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猪飼先生に初めて会ったのは、2018年10月、熊本市の済々黌同窓会館で開かれた「九州愚人会議」だった。愚人会議は熊本県内の高校教諭OBらでつくるサークルで、先生は「近代史からみた九州」と題して講演。「九州に住む人たちはいつどのようにして『九州』を自覚するようになったのか、『九州人』として、自らを自覚するようになったのか」。それは、自由民権運動を経て「近代における『九州』は自然的に生まれたものではない。国家を相対し、国家に対する主体の独自の運動結合体として、自覚し主張されたものである」と話していた。
大島仁福岡大学名誉教授の連続講座が終わり、2022年春に連続講座をお願いした。この時、すでにすい臓がんを患っていた。体調不良のうえ、秋には横井小楠関係の本を出すので、今はいそがしいと「秋には…」とのことだった。だめだろうと思って秋に電話をすると体調も回復したと6回の連続講座を引き受けてくれた。「日本の近代化過程と九州」の第1回は10月25日、ペン倶楽部の事務所で「王政復古クーデターと九州―横井小楠にもふれて―」のサブタイトルで話した。ほぼ1か月に1回のペースで23年4月3日の6回まで、幕末から明治憲法発布まで(明治22年)を講義していただいた。
私が一番印象に残っているのは、征韓論争も士族の反乱も国家の意思決定を一部の有司が独占していることに大きな要因がある、武力討幕を指揮した大久保利通らはすでに藩を超え「個」を確立していた、というところだ。
これで終わりだったのだが、雑談で「石炭の話が聞きたい」とお願いすると「私は石炭のことは(も、だったかな)詳しい」と番外で引き受けてくれて5月16日に「三池炭鉱と地域社会」と題して石炭の史料に残る歴史から三池炭鉱の雇用制度のさわりを語った。
ペン倶楽部では講座、講演の後は飲み会を開いているが、先生はすい臓がんなのに必ず参加、そしてよく飲まれていた。この席での話がおもしろくて興味深かった。史料を発見して購入する喜びや小楠の酒癖などなど話は尽きなかった。
6回までの「日本の近代化過程と九州」は機関誌の「KLASS FUKUOKA」第3、4、5号に先生が話した後に原稿にしたものを掲載している。第5号は昨年11月、出したのだが、番外の原稿は来なかった。第6号(5月下旬刊行予定)に掲載しようと3月初め、メールとはがきで原稿の送稿をお願いしても返事はなく、下旬にはペン倶楽部の事務所に著書『維新変革の奇才 横井小楠』を贈呈として送って来た。出る、出るといってなかなか出なかったのがやっと出版された(多分出版社側の都合で遅れたのだと推測する)。一方で機関誌への原稿は来ないと思っていると4月15日に「送ったが、届いていないか」とのメールがきて、捜すと事務局の迷惑メールのボックスに入っているのを発見した。
直しのメールを1回やり取りした後、音沙汰がなく「どうしているかな」と思っていると4月下旬に初校の直しが郵送されて来た。それには4月27日の日付で「現在、熊大病院に入院中で、幸い今日が面会可能の日だったことから直ぐに手に入り、朱を入れました。昨日は岩波から連絡があり、次の著書『三池炭鉱の社会史―石炭と人の近代―』が7月17日刊行と決まりました。問題は校正作業ですが、何とかこなしてやりたいと思っています」との手紙が同封されていた。大変な時にいろいろ申し訳なかったが、校正作業をするなら、まだまだお元気だと思っていた。それから半月余りで訃報を聞いて、自分のバカさ加減と校正作業に臨んでいた先生の学者としての凄みを思った。この講演詳細は機関誌の「KLASS FUKUOKA」第6号に掲載する。ぜひ読んでいただきたい。
『維新の奇才 横井小楠』の本が出たら夏ごろ(昨年のことです)、飲み会をやろうと言っていた。出たので今度、「感想も申し上げます」とメールした。先生は連続講座6回の終わりに「おわりに」として「(略)会(連続講座のこと)の延長でいただく美味しいお酒と楽しいお話は、私を延命させてくれたと実感し、感謝しています。またお会いできる機会があれば幸いです」と書かれていた。やっと著書も出て、さらに夏に、もう一冊なのに、その機会がもう永遠に訪れないのが非常に残念だ。先生、本当にありがとうございました。(岸本隆三)(5月15日)