投稿者:澤田孝雄
1月19日の昼過ぎ、携帯電話に着信があった。この日は76歳の誕生日だったが、翌日の土曜日に孫たちが来てお祝いをするとのことで、特に変わったことも無く、こたつでうとうとしていた。
着信画面を見ると電話帳登録をしているところからではなかったので、少し不審に思ったが番号が表示されているので安心だろうと出た。相手は女性で「佐賀ハイマット」という。少し間があって思い出した。本当の名称は「九州国際重粒子線がん治療センター」。この正式名が頭に刻まれている。2021年の7月から9月にかけて、前立腺がんの治療で通った佐賀県鳥栖市の施設だ。
「その後変わりはあありませんか。直近の数値は。ホルモン注射はいつまでですか」などと“問診”を受けた。
のど元過ぎれば……というが、がんを治療している身であることを忘れかけている。思えば2021年はひどい年明けだった。その前の秋の定期健診で前立腺がんの疑いがあると言われ、泌尿器科を受診。1月6日から入院して生検を受け、1月18日、73歳の誕生日の前日にがんの宣告を受けた。
まあ病院に任すしかないな、と思っていたが、今は、医療が多様化しているようで、いろいろ資料をくれて、どんな治療法を受けるか判断しなさいとのこと。その一つに、重粒子線での治療法があった。メスを入れることは無く、何より痛くなさそうなのが最大の理由で、鳥栖市のセンターを選択した。入院設備は無く、福岡市の自宅から10回ほど通った。
その後は、泌尿器科でホルモン投与を受けながら、ほとんど何の制限もない生活を続けている。ありがたいことだ。思えば昨年の1月19日にも経過を尋ねる電話があったような記憶がある。
今回、電話を切るときに「来年もまた電話でお尋ねします」と言われた時、何歳の誕生日まで電話を受けることが出来るのだろうか、と思った。この年になれば誕生日おめでとう、といわれて素直にはよろこべないが、生存証明ともいえる電話に感謝している。 (2月5日)