投稿者:古賀 晄

 テレビのニュース番組で生中継するアナウンサーの言い回しに違和感を覚えた。
「雨の様子は?」とのスタジオからの問いかけに「降り止んでいます」と返したのだ。「雨は止んでいます」ではないのか?
 気になって調べてみたが、「降り止むは間違い」の証拠は見つけられなかった。それどころか若者の支持を集める米津玄師のヒット曲「Lemon」の歌詞に「苦いレモンの匂い 雨が降り止むまでは帰れない」というフレーズがあるのを知った。釈然としないが、筆者が時代遅れになったのだろうか。
 バラエティー番組に多い「(○○が人気)だそう」という「そう止め」が耳障りだ。
 伝聞の助動詞は「そうだ」と書くが、態様を示す助動詞「そうだ」は「うれしそう」など「だ」を省略することが多い。いつしか伝聞でも「だ」を省くようになったらしい。
 毎日新聞校閲センターが運営するサイト「毎日ことば」によれば、伝聞の「そう止め」は、1970年代に軽めの雑誌に登場して、今や違和感派と容認派が半々としている。ただ、「書き言葉としては誤読される可能性があり、一瞬でも読者がつまずいてしまうなら、文章の質を落としてしまう」と注意を促している。(2019年11月18日付)
 「全然いい」など「全然」の肯定的な使い方は誤用だと思っていた。ところが、「全然+否定だけが正しいとするのは考え違い」が日本語研究者の間では定説だそうで、若者世代では肯定表現がすでに定着している感がある。
 明治、大正の文豪も「一体生徒が全然悪いのです」(夏目漱石「坊っちゃん」)、「全然、自分の意志に支配されている」(芥川龍之介「羅生門」)などと「全然+肯定」を用いている。とはいえ「全然+否定」で育ったわが身にはしっくりこない。
 応答の「大丈夫です」もOKかNOなのか意思を図りかねる。
 コンビニで働く外国人実習生が「日本語、難しいね」と嘆いていた。
 「レジ袋要りますか?」と尋ねたら「大丈夫」とお客が答えたので、袋代3円を入力して袋を渡すと「要らないって言っただろ!」と怒られるとか。
 否応をはっきり表現しない日本人の習慣から生まれた「曖昧な逃げ言葉」だろう。
 くだんの『毎日ことば』は、「いらない」という意味での用法が辞書でも市民権を得つつあるのは確かだとしながら、「確実な意思疎通には不向きな用法」と指摘している。
 世代間の言い回しの変化は今に始まったことではないようだ。
 約1000年前の随筆家吉田兼好は≪いにしへは「車もたげよ」「火かかげよ」とこそいひしを今様の人々は「もてあげよ」「かきあげよ」といふ≫を例に挙げて「口をしとぞ、古き人は仰せられし(実に遺憾だと古風な老人が言った)」と言葉の退化を嘆いている(「徒然草」第22段)。
 言葉は生き物だとは思うが、外国人実習生が妙な日本語を母国に持ち帰らないで欲しいと祈るばかりだ。(7月7日)