投稿者: 上原 幸則

 令和の世も7年。梅が満開となった。元号の典拠となった梅花の宴を催した大伴旅人の邸宅があったと言われている太宰府市の坂本八幡宮を久しぶりに訪れた。元号の発表以来、一躍人気スポットとなり、全国から参拝者が訪れるようになり、令和元年の大晦日には、NHK「ゆく年くる年」で中継された。昨年は、同大河ドラマ「光る君へ」の46回目で、主人公のまひろ(紫式部)が夫のかつての赴任地、大宰府を訪ねるシーンがあり、当時の国際都市らしい街の様子や政庁が映し出された(実際にロケのあったところは岩手県奥州市)。
 太宰府市は面積の約17パーセントを史跡が占める。1974年(昭和49年)、歴史的風土と文化財の保存・活用を目的に公益財団法人古都大宰府保存協会の前身「古都大宰府を守る会」が設立された。大宰府展示館などの運営のほか、ボランティア解説員が史跡を案内。万葉植栽ボランティア「ゆづるはの会」は、史跡や道路沿いに季節の花を植えて、景観を守っている。
 2月11日にあった同協会50周年式典の記念講演で、文化庁の元文化財調査官の佐藤正知さんは「文化財保護には地元の人たちが価値を知り、誇りにすることが大事。どこでも保存活動の継承が課題となっており、継承には人づくりが必要」と語り、「太宰府は子どもの史跡解説員も生まれて活躍中で、私が口をはさむ必要はない」と評価された。
 一方、文化庁は4日、「古代日本の『西の都』~東アジアとの交流拠点~」(太宰府市、佐賀県基山町など5市2町)を日本遺産の認定から除外すると発表した。日本遺産は点在する文化財を歴史的な経緯に沿い地域ごとにまとめストーリーとして、地域活性化につなげる制度で104件が認定されてきた。価値付けや保護を目的とした指定文化財とは異なり、入れ替えがある。
 「西の都」は太宰府天満宮、大宰府政庁跡を中心に大野城跡、水城跡など30の文化財で構成されていたが、集客力の高いエリアから他の文化財へ周遊させる方策が不十分、自治体間の連携不足、認知度不足などが指摘された。
 同制度が2015年に始まって以来、初の認定外し。地元への影響は大きく、新聞によると、13日の福岡県議会で服部誠太郎知事は文化財としての価値や魅力を損なうものではないとして、関係部署や市、町と早急に会議を開く考えを示した。18日には県と市、町が意見交換会を開いた。筑紫野市は構成文化財の天拝山整備を計画しているが、認定除外で国の補助金が出なくなり、新年度予算案を組み替えるという。
 2026年度以降には再申請が可能。太宰府天満宮の知名度が突出していて、周辺の史跡へ観光客を導くには範囲が広く、移動も簡単ではないが、「令和発祥の地」となった太宰府一帯は歴史ファンにとっても思いが強い。大事な遺産の保護と活用のバランスをとりながら、デジタル技術も駆使して周辺の魅力を幅広く発信、「西の都」復活へ機運が盛り上がっていくことを願っている。(2月28日)