投稿者:上原 幸則
73歳にして、大濠公園能楽堂(福岡市中央区)の能舞台に立った。と、言っても演じるのではなく、能楽の歌詞である謡(うたい)を参加者で言わば合唱する「大連吟」。
筆者が能に少し関心のあるところを見てとった妻が2月に福岡アクロスにあった参加者募集のパンフレットを持ち帰り「稽古に行きなさい」。どうも、家にいる時間を少しでも減らそうという魂胆があったようだ。若い時は「命までも」と誓った二人でも永年一緒に暮らしていると窮屈な時間も出てくる。入会金まで払ってあると聞いて、3月5日から近くの森本能舞台に通った。講師は福岡市生まれで東京芸大邦楽科卒、観世流の今村嘉太郎先生(43)。演目は室町時代の世阿弥の作と言われる「高砂」。阿蘇の神官が都を目指す途中、高砂で松の精の老夫婦と出合い、松の精を追って船で住吉にたどり着く話。相生の松にちなんで、夫婦愛や長寿を祈って結婚式などで謡い伝えられてきた。阿蘇と聞いて親近感がわいた。
詞章を見ると、五番まであり古語もある。全部、覚えなくてはならない。歌と言えば、カラオケのモニターに映し出される詩を追うことが習性。70歳の壁をやっと越えたというのに壁は厚い。丸暗記でしのいでいた高校時代の定期考査を思い出し、詞章をメモ用紙に書き写し、繰り返し唱えた。が、三番を覚えると一番、二番を忘れる。
また、五線譜がある訳でなく、今村先生の発声を真似て謡う。口から口に伝わってきた秘伝の芸を伝授されているようだった。「さげて」「ひいて」「まわして」と指示されるのだが、演歌好きな筆者は小節まではいり、歌謡曲風になってしまう。
本番まで90分ずつ7回の稽古。少しでも出来るようになると、先生から「いいですよ」。会社員時代には成果主義で厳しい評価を経てきた身。褒められると「次はもっと」。妻によると、声がよく通るようになったとのこと。
本番ではシテ(主役)とのやり取りがある。詞章全部を覚えたのだが、シテのところは謡わなくてよい。覚えたのを消していくのも、老齢の脳には大変だった。ついシテのところまで声が出そうで。
6月25日が本番。黒の礼服に白足袋で扇を持って稽古を積んできた40人と舞台に立った。切り戸口から半身をかがめ、左足から入る。武士は左側に刀を差していたことからの様式らしい。阿蘇の神官が都に上る訳を述べ舞った後、謡い出す。稽古で習ったように胸をはり、前を見て周りの声に惑わされず、かつ周りと調和して、一体感を与えるように。
「四海波静かにて、國も治まる時つ風。枝も鳴らさぬ御代なれや」。国が平和で争いの無い時代を願う内容だ。理不尽なロシアの侵略を受けているウクライナが気にかかる。途中で住吉明神のダイナミックな舞もあり、最後になると「千秋楽は民を撫で‥」。千秋楽は演劇や大相撲で終わりの日。ウクライナでの戦争が終わり、 国民が落ち着き安心して暮らせる日が一日も早く来るように願う謡が能楽堂に響いた。(6月28日)