投稿者:岸本 隆三

 伊豆諸島・鳥島(東京都)の絶滅危惧種の国天然記念物アホウドリが1万羽を超えた(6月17日読売新聞夕刊)という。明治に入り羽毛採取で乱獲され、火山噴火(1939年)もあって1949年の調査で「絶滅」とされた。51年には10羽が確認され、保全活動が続けられてきた。そして今年2、3月の調査で個体数は1万1067羽と推定されるという。
 鳥島のアホウドリと言えば、江戸時代、鳥島に漂着した漂流民の食を支え、そのサバイバルに貢献した。漂流ものの小説6編を著した吉村昭にそのものずばりの「漂流」(新潮文庫)がある。
 1785年(天明5年)1月末、土佐湾で、土州の御蔵米を運んだ後の300石船がシラ(冬季の強い北西の風、私の田舎では「あなじ」と言っている)に吹かれて漂流、黒潮にもつかまってしまい長平(24)ら4人の乗組員は10日余り後、島影(鳥島だった)を発見、伝馬船で上陸する。水もなく作物も採れない岩だらけの島にあって長平らはアホウドリを撲殺して食し、干物にもする。魚介類もとるが、中心はアホウドリの肉と卵。雨水を溜めるのは卵の殻だ。3人は亡くなり、1人残されるが3年後に大坂の船の11人、5年後には薩州の船の6人が漂着する。8年後から流木などを集めて継ぎはぎだらけの30石ぐらいの船を4年かけて完成させ、長平ら生き残った14人(7人が死亡)が青ヶ島経由で八丈島に帰還する。
 7年から12年間食を支えたのはアホウドリだった。吉村は当時、10万羽、いや100万羽いたのではと推測している。
吉村は江戸時代初期から多くの船乗りが鳥島に漂着、長平ら以外にも船があって帰還した者はいるが大半が死亡したと記している。
 「漂流」では触れていないが、ジョン万次郎も1841年(天保12年)14歳の時、土佐沖で漁船の乗組員として延縄漁をしていて流され、他の5人とともに鳥島に漂着している。キリスト教禁制の江戸時代、漂流民はキリスト教に改宗していないかと帰国に際しては幕府や藩から厳しく調べられている。その調書が残っており、吉村らの小説は、事実関係をおさえていると言われる。ジョン万次郎については井伏鱒二の「ジョン萬次郎漂流記」(全集第二巻、筑摩書房)がある。
 万次郎については今からちょうど10年前の春、歩いて四国遍路をしている時に少し詳しく知ることになった。漂流する漁船が出港した宇佐浦(土佐市)は35番札所・清瀧寺と36番札所・青龍寺の間にあり「ジョン万次郎漂流出港の地」の大きな看板があった。数日後、生まれ故郷の土佐清水市に入ると「ジョン万次郎を大河ドラマに」の看板を見た。さらに足摺岬の38番札所・金剛福寺近くには観光案内所があり、米国を向いた銅像が立っていた。大河ドラマ化の署名を求められ、応じた。翌日は遠回りして、やはり歩いて中浜谷前の生家に寄り、「海の駅あしずり」にある「ジョン万次郎資料館」を見学した。
 NHKは4月、2028年の大河ドラマはジョン万次郎を取り上げ番組名は「ジョン万」にすると発表した。同市の観光協会に電話すると署名運動などの事務局は商工会議所がつとめ、発表直前まで活動、資料館はすでに訪れる人が増えているという。
 万次郎の人生は波乱に富んでいる。米国で、教育を受けた後、捕鯨船に乗り込んだり、金鉱で働いたりした後、密航で帰国、開国で混乱する幕末、明治に活躍する。
 波乱の始まりは鳥島への漂着。やはりアホウドリで生き抜いている。万次郎たちにとっての幸いは長平らの時代と違い鯨油のため米国船などが捕鯨で、日本近海で活動していたことだ。米国捕鯨船に救助され、鳥島でのサバイバル生活は143日だった。
 大河ドラマでは、捕鯨をどう扱うのか。食用ではなく、鯨油のためかつては米国などが日本近海にまで来て捕獲していたことを知らしめてほしい。鳥島で1万羽を超えたアホウドリは撮影できるとしても撲殺して生き延びたことをどう描くのか、今から興味深い。(7月1日)