投稿者:岸本 隆三
2026年用の年賀状の受け付けが始まっている。なかなか盛り上がらない。初日の15日の読売新聞夕刊は6行のベタ(1段)でもちろん写真もない。年末の風物詩とそれなりに取り上げられた時代に取材していた身には隔世の感がある。電子メールやSNSの普及で年賀は、特に若い世代はそれらにとって代わられている。一方、それらになじめない高齢者は「断捨離」の一環か「年賀状じまい」が年々増えている。盛り上がらないはずだ。
日本郵便はこれらを見込んで、26年のお年玉付き年賀はがき発行枚数を前年比30・1%減の7億5000万枚とした。前年だって郵便はがきの値上げもあって27・7%の減でこの2年で急激な減少だ。なんと記録が残る04年(44億5000万枚)の6分の1になっている。追加発行のニュースを聞かないから日本郵便の見通しは当たっているのだろう。
郵便ファンである。もちろん年賀状は退職して年金生活になっても徐々に枚数は減ってきたが毎年、出している。26年用年賀はがきも11月初め、早々と買った。日本郵便にならい3割減の約100枚にした。25年に受け取ったものに年賀状じまいが増えたこともあり、減らした。そして欠礼はがきがすでに10数枚届いている。それでも減らし過ぎたかと思わないでもないが、足りなければ買い足せばいいと思っている。人気薄とあってこの期に及んでも残っている。
ぼちぼち書き始めなければいけないのだが、どうも文案が決まらない。24年まではその年の干支(えと、十二支)の動物をアーティストの知人に頼んでゴム版画にしてもらったものを捺(お)していた。しかし25年は巳年。ヘビは嫌いで、新年から長いものはどうかと思い十干十二支の干支「乙巳」を朱色で書いた。自画自賛ながら印刷でなく1枚1枚書いたこともありなかなか良かったのだ(笑)。
朱色の墨もまだあり、26年もこれでいこうと思っていたらなんと干支は丙午(ひのえうま)だ。十干十二支の60組の組み合わせの一つで、他と同じように60年に一度巡ってくる。この年生まれの女性差別の迷信があるのだ。今の時代にその迷信を言おうものならセクハラでアウト間違いなし。私は今、74歳。昭和の丙午(1966年)の時は中学生だ。遅く生まれた子供で母は明治41年(1908)生まれ。その母が同じく明治37年生まれの近所のおばさんと1966年かその前年の65年かに丙午の話をしているのを妙に記憶している。
そして日本の人口ピラミッドで1966年生まれは前年と後年に比べて極端に少なくなっているのを後で知ることになるのだ。女児が生まれたら困ると多くのカップルが避妊したのだ。「ひのえうま―江戸から令和の迷信と日本社会」(吉川徹、光文社新書)によると明治の丙午(1906年)に生まれた女児が当時の婚期(これは差別ではないのか。ほぼ死語になりつつあるが)を迎えた大正末期から昭和初期に婚姻が避けられて自殺者などを出している記憶がまだ残っており、出産を避けたのではないかと指摘している。母とおばさんもちょうど明治の丙午と同世代でありリアルタイムで見聞きしていたのが、丙午の話になったのかもしれないと想像する。
同書では令和の丙午ではその年に極端な出生減は起きないと予想している。すでに出生数は減ってきている。その上、若い既婚夫婦は丙午、その迷信を知らない、昭和の丙午生まれの女性は婚姻などで不利益を受けておらず、大学入試などでむしろ有利だったこともあるなどを理由に挙げている。
既婚、未婚の若い男女何人かに「丙午って知ってる」と聞いたが、知らないのだ。丙午の迷信は令和になって終わったと考えていいのではないか。
さて年賀状だ。迷信が終わった記念と祝いも兼ねて「丙午」でいこう。(12月18日)
