投稿者:岸本 隆三
4日、霧で北方領土は見えず、泣く泣くその日は根室市のホテルに泊まり、翌朝はカモメの鳴き声で目覚めた。雨が降り、またも霧がたちこめている。散歩して海岸に出るも海は波打ち際までしか見えず。晴れならば、もう1度納沙布岬に挑戦と思ったが断念。昨日、そばを通った根室金刀比羅神社に参拝。しかし北海道の鳥居はなぜ白く塗っているのかとMさんと議論。神社の若い神職に尋ねると「どこも白いんじゃないんですか」。
神社は司馬遼太郎が小説「菜の花の沖」で描いた高田屋嘉兵衛が1806年(文化3)に建立、1881年に現在地に移転したという。立派な神社で境内には高田屋嘉兵衛の銅像もあり、弁天島の浮かぶ根室港を見下ろしているという。港を見下ろす展望台が数か所ある。しかし霧でまったく見えないのだ。
雨と霧の中を、根室市を離れ別海町の牧草地帯を抜けて野付半島を目指す。ところが別海町の牧草地帯ではこんな雨が北海道でも降るのか、という土砂降り。翌日(6日)の釧路新聞によると釧路市中心部で1時間雨量が観測史上最大の60㍉を記録、JR釧路駅発着の列車が運休したという。どこの気象もおかしい。
遠回りしてやっと着いた西別川河口は井上ひさしが小説「四千万歩の男」と取り上げた伊能忠敬の第1次測量隊がやってきて引き返したところだ。地元の有志が立てた木柱があるという。近くまでやっとの思いでたどり着いたのだが、低地の舗装していない道は冠水しており、見学は断念した。
根室海峡を右手に見て一気に国道214号線を北上。雨は上がり、霧は晴れた。桜木も何の小説だったか忘れたが舞台にした野付半島は大きな砂嘴(さし)だ。シカの群れを何度も見、1度ははねそうになった。しかしここから見えるという国後島は見えなかった。
実は国後島と択捉島は1度見ている。8年前の6月、大型客船でのクルーズで北側から国後、択捉両島を見て択捉海峡から太平洋に出るコースだった。甲板に出ると寒くてサマーセーターを着、山山はまだ白く、寒々した光景だったのを憶えている。しかし船からではなく、本土から見る国後島はまた違うだろうに。残念。ここまで来たのに。
この日はここから一気に摩周湖、屈斜路湖、阿寒湖を巡り、釧路市に戻り宿泊。この途中もシカに出会う。そして3湖とも霧はなくよく見えた。
翌日はMさんが釧路市内には歌人石川啄木の歌碑がたくさんあると言うので、歌碑見学に。幣舞橋を東に渡り、釧路川左岸に。煉瓦造りの「港文館」前にある銅像と「さいはての駅に下り立ち雪あかりさびしき町にあゆみ入りにき」を見る。港文館に資料が展示されており啄木は1908年(明治41)1月21日に釧路駅に下り立ち、当時の釧路新聞(現在とは関係ない)記者としてわずか76日間の滞在だったようだ。しかしこの間、原稿も良く書き、歌も作り、そして恋愛も。歌碑は27基もあるといい、市民に大事にされてきたようだ。銀行と同じビルにある市中央図書館には釧路文学館があり桜木らの資料が展示されているというので寄った。作家の原田康子、啄木らとともに顕彰されていた。
北方館で、無料でもらった外務省発行の「われらの北方領土2024年版」(資料と合わせて126㌻)を旅行後に読んだ。奇しくも戦後80年、そしてロシアがウクライナを侵略し続けている時の旅であったと思った。
同冊子などで、ソ連は1945年8月9日未明、日ソ中立条約を破って参戦、ソ満国境を越えて攻め込み、日本領だった千島列島には日本がポツダム宣言を受諾(8月14日)後の8月18日にカムチャツカ半島から侵入し、ウルップ島には31日に至った。北方四島(今言う北方領土)には28日から9月5日までに全てを占領したことを再認識した。(8月22日)
