投稿者:岸本 隆三

 福岡市総合図書館映像ホール・シネラで15日あったハンセン病問題についての上映会に出かけた。上映されたのは2021年に動画配信サイト「ネットフリックス」で公開された「マイ・ラブ 6つの愛の物語」の1編「絹子と春平」(73分、戸田ひかる監督)。福岡市法務局主催だったが、なかなかよかった。
 戸田監督のトークショーもあり、その中で監督は「絹子と春平」は、ハンセン病問題の啓発を意識して作ったものではないと話していた。
 自宅でも、パートナーにネットフリックスを操作してもらって「マイ・ラブ 6つの愛の物語」を見たが、米国、韓国、イタリアなど6か国の熟年カップルの日常を描いたドキュメンタリーで、「絹子と春平」はその1つ。監督が選んだカップルの夫の春平がたまたまハンセン病回復者の石川春平さん(今年の誕生日で89歳)だったのだ。
 映画は川崎市内の公営住宅で暮らす石川さん夫婦の2019年から2020年春までの1年間を追う。結婚50年、そして妻の絹子さん(今年の誕生日で87歳)の胃がんがちょうど発見され、その手術が重なる。そして息子が原告の1人でもある家族裁判の勝訴も。なかなかドラマチックな1年となっている。
 春平さんのハンセン病の講演会や支援者との集会、いやそれ以上に顔と手に残る後遺症、運転する車のハンドルやシャモジに付けられた取っ手、ハシが使えず、フォークでの食事などハンセン病回復者ということが意識される。そしてこれまでの偏見と差別が推測されるのだが、それを超えて、春平さんのユーモアと前向きな生き方、絹子さんの芯の強さ、子供3人を育てあげ、今はお互いが労わり、慈しみ、そして夫婦愛を感じる日常が描かれる。これがすばらしく、感動的だ。
 トークショーで、戸田監督が石川春平さんの著書「ボンちゃんは82歳、元気だよ! あるハンセン病回復者の物語」(社会評論社)を紹介、同図書館にもあるというので、早速、借りた。小学6年生の時に発病、机を焼かれての強制退学、自宅納屋での隠れて暮らした5年間、そして隔離政策による15年間の病院での療養生活、絹子さんとの出会い、退所後の労働と住居さがしなどでの差別を跳ね返して生き闘って来たことがつづられている。こちらも前向きでユーモアにあふれているのがよくて、そして泣かされる。
 今月初めには熊本市に車で行き、隣の合志市の国立ハンセン病療養所・菊池恵楓園を訪ねた。
 2001年、ハンセン病国賠訴訟で、熊本地裁が国の隔離政策の違憲性を認めた判決を下し、小泉首相が控訴を断念して患者に謝罪した。その2年後に熊本県南小国町のホテルが同園の回復者の宿泊を拒否した事件が起きた。違憲判決後も根強く残る偏見と差別。どう克服するのか。読売新聞西部本社はその年末、福岡市内で当時の潮田義子熊本県知事、内田博文九大大学院教授らともに杉野芳武同園自治会常任委員にも出席をお願いしてシンポジウムを開いた。翌年、同園を訪ね杉野さんや大田明自治会長(当時)にお礼のあいさつに伺ったのが最初の訪問だった。
 2022年にリニューアルオープンした歴史資料館を見て、園内を見学した。店舗があったところはシャッターが下ろされ、広い芝生広場はかつての住居跡だ。個人情報があるのでと入室ができなくなっていた納骨堂(2023年4月現在で故郷に帰ることのできない1364柱が眠っている)にお参りした。
 入所者は高齢化などで急激に減少しており最初に尋ねた時は500人を超えていたが、今年5月1日現在で114人と聞いた。
 上映会とこの訪問で思い出したことがある。シンポジュウムの際に回復者らからハンセン病から完治した人々をなぜ「元患者」と呼ぶのか、との疑問の声があがった。これを機に読売西部では「回復者」とし、「元患者」を避けることにした。熊本県や厚労省も追随しそうになった。しかし、全国ハンセン病療養所入所者協議会やハンセン病違憲国賠訴訟全国原告団と弁護団でつくるハンセン病問題統一交渉団(当時)は「歴史的経緯があり、元患者の方がいいという意見もある」と「元患者」を続けることにした。現在でも「元患者」が主流になっている。読売新聞も東京、大阪本社は「元患者」で、結果的に西部紙面では(療養所の)「退所者」「入所者」なども含め混在している。
 ところが、石川春平さんは川崎市在住だが、「回復者」を使用している。本のタイトルでもそうだが、映画での講演の場面の懸垂幕にあるのも「回復者」なのだ。
 ハンセン病問題は医療よりも国が強制隔離政策を長年続けて患者や回復者の自由などを奪ってきた人権侵害の側面が強い。回復者に抵抗があり、医療問題を連想させる「元患者」よりも「ハンセン病回復者」がいいのでは、と改めて思っている。(6月19日)