投稿者:岸本 隆三

 友達から「朝起きたら、まず今日も生きていることに感謝する」とか「今年のサクラは見たが、来年は見ることができるのだろうか」と聞く年回りになってしまった。だからだろうか。年々貪欲に何回も花を見るようになった気がする。
 今年のソメイヨシノの開花は熊本、高知両市で3月23日、福岡市は25日だった。同市は昨年より2日早く、平年より3日遅いという。黄砂がひどかったが、気温は高く、27日訪れた天神中央公園は私が見た感じでは(以下同じ)すでに5、7分咲き。お客さんも多く、ワーワー言っているのはほとんどが日本語ではなかった。翌日、宮崎市に行く際には九州自動車沿いの、九州山地をポツポツと白く染めるのを車のウインドウ越しに見上げた。30日の日曜日には福岡市の舞鶴公園に。満開と言っていたが、7、8分咲きか。ものすごい人出、複数のトイレで長い行列ができている。屋台、露店も数多く出ており、場所によっては花の匂いは焼き肉のそれにとってかわられていた。こうなるとコロナの時がなつかしくなる。この日は肌寒く天神の立ち飲み店で日本酒の燗を飲んで帰った。この寒気と強い風雨がなかったのが花を長持ちさせた。
 4日には別府市の扇山で満開の花の下でゴルフ。翌日は丁度山焼きして黒くなった斜面を背景にした満開の花を初めて見た。山焼きは何日か延期されたものでラッキーだった。8日には久留米市の百年公園に。筑後川沿いの桜は盛んに散っている。「菜の花に桜舞う筑後川」と頭で詠んだら菜の花はなく白いダイコンの花が咲いていた。ダイコンの花ではねー(笑)そして思い出した。50年前、読売新聞山口支局での新人の時、県内の公園などのサクラの開花状況の一覧表(花便りだったか花暦だったか思い出せない)を作っていた。毎日、電話をして聞くのだ。そして「三分ざき」「まんかい」など花の状況を知らせるのだ。「らっかさかん」というのもあった。結構な期間「落花盛ん」ではなく「落下傘」のことだと思っていた。散る花を見るたびに思い出す。
 9年前の春、四国遍路を歩いて回った。3月29日、一番札所・霊山寺(りょうぜんじ)から打ち始めたが、開花はしていた。日々花を見ながら進み、14日目の4月11日は二十七番札所・神峯寺(こうのみねじ)。寺は標高430㍍の山中にある。平地から急坂を登る。その坂は「真っ縦」と呼ばれ、未舗装の時は足を滑らせて落ちる遍路もいたという難所の「遍路ころがし」の一つだ。晴れた風の強い日だった。ハーハー、ゼーゼー言って難儀しながら寺近くまで登るとソメイヨシノの花がハラハラというよりバラバラと舞い落ち、路面を白く染めていた。札所からの太平洋を臨む眺めもとともにこの「らっかさかん」も登った甲斐があったと思った。
 この間も自宅近くの姪の浜地区をママチャリでグルグル回って点検のように見ていた。今年のソメイヨシノも終わりだなと思っていたらパートナーが長湯温泉(大分県竹田市)の旅館が空いているといい、近くにサクラの名所もあるという。11日に車で出かけた。「長湯温泉しだれ桜の里」で、前日の風雨でシダレザクラが大分散ったといい入園料500円が300円に値下げされていた。15年前、地元有志らが「100年先もシダレサクラが咲き誇る温泉地をつくろう」と畜舎跡や山を拓いた10万平方㍍の敷地にシダレザクラ300本など約2600本が植栽されている。ソメイヨシノはなく早咲きで一番多い1600本あるという「大漁桜」は葉桜に変わりつつあったが、シダレザクラは桃色の花が残り、「思川」「陽光」と名札の下がった種類の木は桃色の小さな花が満開だった。300円の価値はあった(笑)。炭酸泉の露天のラムネ温泉でボーっとしているとユラユラと「落下傘」が落ちて来た。
 「花に嵐のたとえもあるぞ」。福岡市は13日、雷雨に見舞われた。ソメイヨシノは完全に終わった。しかし自宅近くの街路樹のヤエザクラはほぼ満開。舞鶴公園のお濠端とフジ棚の近く、それに牡丹・芍薬園のヤエザクラはなかなかいいのだ。行かなくちゃ。目覚めに感謝する日が続くことを願う。「しだれ桜の里」にもヤエザクラはあり、そのシーズンは無料だという(4月15日)

「満開の舞鶴公園牡丹芍薬園のヤエザクラ(4月16日)」