投稿者:岸本 隆三
大分県姫島村の村長選告示が10月29日だと知って、その日に、兄の病気見舞いを兼ねて帰省した。無投票で新人候補が当選すると予想されており、村の大きな歴史的転換点に立ち合いたいと思ったからだ。
姫島村は国東半島約6㌔沖合の周防灘に浮かぶ周囲約19㌔の姫島、一島一村の村である。私が生まれ、中学校を卒業するまで過ごした出身地であり、愛している古里だ。何で知られているのか。もちろん私の出身地だからではない(笑)。瀬戸内海国立公園の一角を占めているからか、国の天然記念物で、考古学にも登場する黒曜石の産地か、キツネ踊りなどの盆踊りか、クルマエビ養殖の先駆け地か、蝶のアサギマダラの飛来地か、少しは知られている。
最近では村長選で話題になることが多い。
今回は、10期連続で現職の村長としては全国最長で、市区町村長では山梨県早川町長の11期に次ぐ長さを誇る藤本昭夫氏(81)が引退、実に40年ぶりに村長が代わるのだ。出身者として少しなまって言うと、40年ちゅうものではない。昭夫氏の前は同氏の実父で熊雄氏が現職で亡くなるまで7期、約25年務めた。実に65年にわたり“藤本”村長、“藤本”村政だ。
12年前の村長選までは多選とともに連続無投票当選が話題になっていた。熊雄氏は1960年1月、無投票で初当選、1984年まで7回連続無投票当選で、同年10月、急逝。その後を、日本住宅公団を辞め、Uターンしてクルマエビ養殖場に勤めていた昭夫氏が無投票で初当選して受け継いだ。そして8期連続無投票だった。父熊雄氏から数えて連続15回。熊雄氏が初当選する前の村長選も無投票で実に連続16回を数えた。多くの村民が村長選の投票をしたことがなかったのだ。非難めいた連続○○回無投票の新聞記事で村長の任期満了に気づくことがほとんどだった。
これが8年前に一変。NHKを定年退職してUターンしていた藤本敏和氏(75)が「村には閉塞感がある。風穴を開けたい」と立候補。1955年以来、61年ぶりの村長選となった。“藤本”対決、“藤本”決戦だが、敏和氏の父は熊雄村長時代に収入役を務めていた経緯はあるが、縁戚関係はない。新聞、テレビのニュースはもちろんテレビのニュースショーでも取り上げられ、全国的な話題となった。ニュースバリューは61年ぶりの首長選挙。無投票多選の批判込みだった。しかしまるでそれまでが、島には民主主義がないみたいに言う人もいて、それはどうかとも思ったが。
敏和氏のいう閉塞感はともかく、昭夫氏が専制的で他人の話を聞かないという批判はよく耳にしてきた。特に足場の村役場職員がそう思う人が少なくなく中途退職者も出ていたと言われた。1199票対512票で昭夫氏に。
4年前も同じ構図の選挙となり、927票対594票。結果は、それなりに慣れない選挙運動(告示後の運動の意味で)を展開した昭夫氏が機嫌を悪くしたと噂された。投、開票日に帰省していた。昭夫氏は県から副知事らが駆け付けた当選報告会で「住みよい島づくりに全力をあげる」と話していたのを聞いた。この開票結果を聞いて、昭夫氏は初めて引退と後継者捜しを決意したと推測する。
昭夫氏は「専制的だ」など首長ゆえの毀誉褒貶はあるものの10期も村長職を続けてきたのは政治力があったからだ。前任の父・熊雄氏はフェリー乗り場近くの公園に銅像が立ち、すでに伝説化している。村議会議長から村長になり、後に副総理や自民党副総裁になる西村英一衆院議員の選挙を取り仕切っていた。西村氏の協力などで1割自治にも満たない自主財源のなか港湾整備、上水道、診療所の医師確保などインフラ整備に努め、クルマエビ養殖を始めるなど産業振興にも貢献した。離島振興法での優等生と言われたものだ。昭夫氏は世襲の形で村長職を引き継ぎ、下水道100%普及、清掃センター建設、道路網の整備などに努め、“藤本”村政65年で島は見違えるほどインフラ整備は進んだ。国、県の人脈など熊雄氏の遺産を引き継いだのも大きかったが、それを維持して発展させた。その政治力は途中、自民党から国政選挙への出馬を要請されたことでも分かる。
しかしその政治力をしても少子高齢化と過疎は防ぎきれなかった。4000人を超えた人口は今、約1700人。4年前からでも1割近く減った。「消滅可能性自治体」の県内トップを走っている。主産業の漁業の不振が大きい。それも悪いことに地球温暖化で海水温が上がり今では「魚がいなくなった」とまで言われている。
少子高齢化、過疎は大きな時代の流れだ。そうした中で、平成の大合併にも加わらず、明治以来の一島一村を維持して、まだ踏みとどまっていると評価すべきかもしれない。
昭夫氏の事実上の後継指名で大分県職員を退職したばかりの大海靖治(だいかい・やすはる)氏(60)が無投票で初当選した。任期は11月26日から。当選後大海氏は「無投票は私に対する期待の表れだと思っている」と無投票を前向きにとらえ、人口減少の歯止めなどに尽力するなど決意を述べた。
またまた無投票に戻ってしまったのだ。
今回の無投票が全国的な流れの政界、特に地方政治への人材難ではないかとの危惧を抱く。大海氏を待ち受けるのは困難な課題ばかりだが「よくやっている。大海さんにはかなわない」とまた無投票になるよう頑張って、未来を切り開いて欲しい。一島一村を守ってほしい。そう思う一方で、やっぱり「俺の方がいいぞ」と対抗馬が出て選挙になるのがいいのではと思ったりする。これからは、過疎もだけれど人材難も問題だろうから。(11月1日)