投稿者:岸本 隆三

 正月の能登半島地震で被災した石川県輪島市、珠洲市、能登町が9月21日、記録的な大雨に襲われた。大地震を生き抜いてきた人たちが犠牲になった。復旧途上なのに崖くずれで、また道路が寸断され、再び孤立した集落も少なくない。そしてまた断水。仮設住宅にやっと落ち着いたと思ったら浸水して、また避難。本当に神も仏もない。ボランティアに行きたいが、高齢でもあり、かえって迷惑をかける。何もできないが、被災者を激励、政府の尻をたたく声を上げ続け、出来る支援を改めてしたい。
 繰り言㉓で書いたが新潟・北陸旅行で、自衛隊も撤収して大分、復旧したものと思い、9日、富山県からレンタカーで能登半島に入り、輪島市中心部まで行って引き返した。それだけに以前より身近に思えて、大雨被害のニュースを見ると涙が出そうになる。
 志賀町の志賀原発前を走って日本海側の国道249号線を北上した。志賀原発前から国道を北上すれば、輪島市に入るのでナビは入れていなかった。輪島市門前町に入り、山間(やまあい)に入ると崖崩れの復旧工事をしている。地震で隆起した海岸線に沿って進む。
 国道は復旧というより応急工事でやっと通行が可能となったといった感じで凸凹や排水溝が壊れたり道路標識も傾いたりしている。コンビニエンスストアは開いており、お茶を買った。何でも売っており、日常感はある。しかし、平野部のちょっとした集落の家屋はつぶれているか、傾いているか、屋根に青いビニールシートがかけられている。つぶれた家屋はそのままで撤去はされていない。これは山越えして輪島市中心部に入るまで木造家屋については変わらなかった。中心部ではやっと撤去作業が始まった感じで、ダンプが走っていた。
 再び山間に入って行くと通行止めの看板。その時は分らなかったが、帰宅して調べてみて、今回の大雨被害で、犠牲者が出てしまった中屋トンネルの復旧工事のための通行止めだったようだ。前の乗用車が左に曲がって行くのであまり考えずについて行った。これが大きな間違いだった。今度調べると県道38号輪島浦上線のようだ。途中から崖崩れなどの復旧工事などで車1台が通るのがやっとで、右に左に曲がって上がって下っていたら前の車が脇道に入ってしまった。しょうがないので直進したら谷間のような海岸に出た。間垣があり、上大沢と推測している。
 集落の両側はいずれも崖崩れ。東側が輪島市中心部だ。崖崩れのため海側に新たに付けた道に入り、海岸線を進むが、崖崩れだらけ。応急に付けた道のようで、ガードレールもなく助手席の友人は窓から崖下しか見えず、肝を冷やしたようだ。間垣のある大沢を過ぎると道は山間に入り、分からなくなりナビを入れた。しかし県道38号は通行止め。すれ違った車が2台あったのを頼りに、ナビにない林道をグルグル回って国道249号線に出た。
 こういう地域を豪雨が襲ったのだ。私達は行っていないが、輪島市から珠洲市に向かう途中の町野町の大きな崖崩れがニュースに出るが、大沢、上大沢もひどいことになっていると想像する。応急工事の道はまたやられて、孤立しているのではと心配だ。
 帰宅したら防衛省は鹿児島県西之表市の馬毛島で建設中の自衛隊基地の完成予定が3年延びて2030年3月の見込みと発表。能登半島地震の復旧・復興工事の影響で人手や資材が不足し、作業員向け仮設宿舎の建設が進んでいないことを理由にあげたという(9月11日、読売新聞)。本当かいな。他の工事に影響を与えるほど人手や資材をつかうほど復旧工事は進んでいるようには見えなかった。せめて今度の水害が復旧・復興工事の促進になってくれるように願う。(9月24日)