投稿者:岸本 隆三

 九州北部が6月17日、やっと梅雨入りした。平年より13日、昨年より19日遅いという。私にとっては遅い梅雨入りがニュースではなく、何度も梅雨入りを経験したことだ。沖縄は5月21日だったが、宮古島市にいて、6月8日は九州南部だったが、その日宮崎市から鹿児島市に入り、旧友と飲んだ。現地で梅雨入り3度は初めての経験だ。「それがどうした」との声が聞こえてきそうだが、単なる前置きです。
 伊藤公平・慶応義塾長が今年3月、中央教育審議会特別部会で、国立大学の学費を3倍の150万円に引き上げるべきだと提言、波紋を広げている。読売新聞は5月15日、16日の連日、伊藤氏のインタビューなどを取り上げた。16日には、東京大が学費値上げ検討との記事もあり、6月14日にはそれらのまとめ記事を掲載していた。今、なぜ国立大学の授業料なのか。それも引き下げ、無料なら分かるが、引き上げなのかが分らない。
 同紙によると、伊藤氏の提言は、高度な大学教育をするには学生1人当たり年間300万円必要で、せめて半額の150万円程度は家計負担(授業料)すべきだ。払えない人には給付型の奨学金を充実させて、学費を理由に進学をあきらめる人をださないようにするというもの。伊藤氏は、国は財政難で、国立大学への運営費交付金の増額は期待できないため学費値上げは方策の一つ。さらに少子化で大学が淘汰される時代にあって学生の自己負担は大都市と地方、国立でも私立でもあまり変わらないようにして、学生が(授業料ではなく)教育内容で大学を選べるようにするとも説明している。
 そもそも国立大学とは何かから問わねばならないのかもしれない。私は、国費で高等教育を授けようというものと理解している。戦後は新制大学として、評論家の大宅壮一に「駅弁大学」と揶揄されもしたが、全国各地に国立大学ができ、身近な高等教育機関として、地域経済や地方文化にも貢献している。魅力の最大のものは授業料の安さだった。
 私も大宅のいう駅弁大学の一つ熊本大学の卒業生だ。1970年(昭和45年)入学。授業料は年間で1万2千円。教授の1人が「お前たちは1日、コーラ1本分しか払っていない」と非難するのを聞いた。当時、瓶のコーラが1本30円で授業料も日割りすると同じぐらいだったからだ。本当に安かったのだ。留年した先輩には8000円の人もいた。当時は入学した年の授業料が卒業まで続き、請求も学生本人に来ており、事務局に現金を持って行っていたように記憶する。それでも、期限まで納付しない学生もいて、掲示板に名前を張り出されていた。飲み過ぎなどで授業料をあとにしていたのだ(笑)。高いからでは決してなかった。一方で私立大はやはり高かった。高校の同級生が早稲田大(政経)に行ったが約12万円で、10倍だったと記憶している。
 2人の娘は1990年代、東京の私大と公立大に進んだが、私大が70数万円で公立大は約30万円だったように記憶している。公立大の値上げと私大との差のなさに驚いた。私学補助金も出ているからだろうが。
 長兄の長男の長男(甥の長男)、彼から見れば私は大叔父だが。私から彼は何と言うのか。知らなかった。調べると、又甥というのだそうだ。今春、彼が九大(文)に入学した。授業料は53万円余。彼の姉は熊本大(教育)3年で同額。甥は大分市に住むサラリーマン。「何年かすれば卒業するから」と激励したが、甥の次男は高校2年生だ。本当に大変だ。長兄の次男の長女は早稲田大(文)の2年で109万円。どちらも高いが、やっぱり国立は高く、何の国立か、と思う。
 親元を出れば、授業料以上に生活費がかかる。これが授業料150万円となると、どうか。奨学金を充実させて、というが、奨学金の議論は最近やっとでてきた。現に国立大の2人の奨学金はともに月4万円。年額にしても授業料に追いつかない。私は成績が悪くて奨学金はなかったが、当時の日本育英会の奨学金は確か月8000円だったと思う。2か月で年間の授業料からおつりがきていた。受給していた友達に、奨学金が出ると「飲み行こう」と言っていた(笑)。その友達は「月1000円の授業料も奨学金も本当にありがたかった」と述懐する。
 せめて授業料と同額ぐらい受給型の奨学金が出るようになってからの値上げ議論ではないのか。それどころか、今は、授業料を下げる議論をすべきではないのか。
 保育園や保育関連施設を運営しているNPO法人フローレンス会長の駒崎弘樹氏は「国内総生産(GDP)に占める教育機関への公的支出の割合はOECDで最低レベルです。子ども1人を大学卒業まで育てる費用は、数千万円とも言われています。第2子以降の出産をためらう理由として、教育費の負担の大きさも見過ごせません」と少子化対策としても少なくとも国公立大の無償化を求めている(5月26日、読売新聞)
 政府は少子化対策でやっきになっているのに、東京大の値上げの検討など文科省系はそれに反する議論を行っている。1960年代だったら東京大では間違いなくストライキが起きていただろう。(6月20日)