投稿者:岸本 隆三
5月20日から22日まで、福岡ペン倶楽部理事のMさんとIさんとの3人で沖縄県宮古島を旅行した。私は宮古島、宮古列島は初めて。昨年秋、宮古列島を含めて先島諸島と呼ばれる八重山列島の石垣島、与那国島を訪れた。台湾有事を見据えて南西諸島防衛体制の強化が図られており、両島とともに宮古島にも陸上自衛隊(陸自)の基地が新設され、ミサイル部隊が配備されている。観光はもちろんだが、防衛の最前線も見てみたいと思った。
福岡空港からスカイマークの定期便で、那覇空港乗り継ぎでラッキーにも下地島空港へ。宮古列島は8島の有人島があり、宮古島など5島で宮古島市と多良間島、水納島で多良間村を構成している。宮古島市の最も大きい宮古島に宮古空港があり、全日空や日航などが就航している。下地島空港のある下地島は2番目に大きい伊良部島と狭い瀬戸で離れているだけで何本もの橋で繋がり、同じ島のよう。下地島空港は今、いろんな意味で注目を集めている。
何と言っても、最も大きな特徴は滑走路が3000㍍あること。沖縄県内には米軍嘉手納基地を除いて、戦闘機や輸送機の運用が可能な3000㍍滑走路は那覇空港しかない。1979年、国内唯一のパイロット訓練用空港として開港。80年に那覇線が運航したが、94年にいったん休止していた。宮古島がリゾートとして注目され、さらに伊良部大橋(3540㍍)で伊良部島と宮古島が繋がり、旅客ターミナルも整備され、2019年に定期便が再開された。羽田線も就航、国際線も開設され、2023年度の利用客は42万人という(4月25日読売新聞)
とにかく広いのだ。建物は管制塔と旅客ターミナルぐらいで、余計にひろく見える。航空機の乗降は徒歩でタラップを利用するのだが、駐機の機体もないのに、端は見えない。航空機の移動に牽引車は必要なく、機自体でやっていた。
乗り継いだ那覇空港は民間の大小の航空機が離発着、移動し、駐機していた。さらに多くの航空自衛隊(空自)の戦闘機や海上自衛隊(海自)、陸自の航空機もある。こうした中を空自は中国軍機に緊急発進(スクランブル)をしており、そのスクランブルは近年増えているという。下地島空港は那覇に比べて台湾、尖閣諸島にも近い。同空港は県管理で、沖縄返還前の1971年、軍事基地化を懸念する住民に配慮して、当時の琉球政府と日本政府が交わした文書で自衛隊の使用は認められていない。それが今も続いている。国が進める緊急時の国民保護や大規模災害の発生に備え、平時から自衛隊や海上保安庁が使える「特定利用空港・港湾」の指定合意にも至らなかった。
レンタカーで伊良部島白鳥崎へ。その約6㌔沖合で昨年4月、陸自第8師団長(当時55)ら10人が搭乗したヘリコプターが墜落、全員が死亡した。ちょうど1年後の今年4月6日に現場海域を臨む場所で献花台を設け、追悼行事があった(4月7日読売新聞)というので、新聞に掲載された写真を白鳥崎公園にいたダイバーに見せて、場所を聞くとすぐ近くだという。ところが、「鎮魂 黒鷹の勇士達を悼む」と刻まれているという献花台を捜すがない。その後、佐良浜漁港の伊良部漁協直営の食堂で海鮮丼の昼食。その隣の鮮魚店の女性に尋ね、献花台の地点を絞り込み、戻って捜すがやっぱりない。島を離れる日までにまた捜そうと車で伊良部大橋を渡る。雨が降り出してぼんやりした景色となったのだが、やっぱり長い橋に感動した。ホテルに入り、宮古島市役所に献花台のことを電話で聞くと「ないことはない」という返事だった。
その夜は大雨で翌日、梅雨入りした。朝方までの大雨が止み、陸自宮古島駐屯地へ。レンタカーのナビに駐屯地が表示されないまま走っているとレーダーが見え、向かうと空自宮古島分屯地。空自もあるのかと思ったが米軍から引き継ぎ、返還直後からあるという。守衛の隊員に陸自宮古島駐屯地の道筋を聞くと約5㌔という。すぐに着いた。正門前の畑に「宮古島を戦場にしないで ミサイル基地はいらない」などの横断幕が立てられている。守衛の隊員に聞くと毎週木曜日に(基地反対)集会があるという。献花台のことを聞きたいと言うと中から「渉外」の人が出て来た。そして、献花台は撤去した、基地内の慰霊碑のお参りはできない、と言われた。捜してもないはずだ。いろんなことが渦巻いているのだ。
景勝地の東平安名(ひがしへんな)岬に向かう途中、「保良訓練地」と表札のある門がある。道路端に高齢の男女2人が座っている。男性は「島々を戦場にさせない!!」と染め抜いた幟を手にしていた。女性は「弾薬庫を作っており、一部はもう使っている。ぼら(保良)集落とはいくらも離れていない」と話した。道からは見えなかったが、近くにある展望台からは完成した建造物やクレーン、それにかなり広い赤土が見えた。
東平安名岬は太平洋に突きだした小さな岬だ。白い灯台の先にある岬の先端に立つと丸い太平洋を実感できる。足元を見るとアザミやユリなどいろいろな花が咲いている。私には宮古一番の景勝地だった。
宮古島の最も高いところは100㍍余。平べったい大地は走っても、走ってもサトウキビ畑。景勝地を、サトウキビ畑を、そしてこの平和を守る基地建設なのだと思い、宮古島を後にした。(5月23日)