投稿者:岸本隆三

 念願の日本最西端・与那国島に行った。福岡ペン倶楽部理事のMさんと2人で11月21日正午過ぎ、福岡空港発のLCCで新石垣空港へ。飛行時間は1時間半ぐらいだったのか、天草上空を過ぎて海しか見えない側の座席だったが、石垣島が近づいたら島(多分、多良間島)が見えてきた。さらに、高度を下げ着陸態勢に入るとリーフで生じた白波が青い海岸線を洗っている。これを見ただけで来て良かった、来た甲斐があったと思った。
 半袖姿になり、路線バスを乗り継いで、島南西部にあるリゾートホテルに。プライベートビーチらしき海岸そばの立派なホテルなのだが、いかんせんバスに時間を取られ過ぎて、もう夕暮れ。バタバタして風呂に入り夕食。聞けば、空港からホテルのバスがあったという。それも無料で(笑)。泡盛のロックを飲み過ぎて早々にダウン。
 枕元のテーブルに置いていたスマートフォンが突然、大音響をあげ、2人とも飛び起きた。まだ午後11時前だ。北朝鮮が弾道ミサイルの可能性のあるものを発射(今度は人工衛星になった)し、沖縄県に発令された全国瞬時警報システム「Jアラート」だ。2人で発射予告は「明日からなんじゃないのか」とブツブツ言いながら、どうすることもなくまた寝た。翌日22日朝のNHKのニュースは今年3月、開設・配備された石垣駐屯地の迎撃ミサイルPAC3を映していた。国は軍拡を急速に進める中国に備え、南西諸島防衛に力を入れ、2016年の与那国から奄美、宮古島、そして石垣と陸上自衛隊の駐屯地を新たに整備し、PAC3を配備している。国防の最前線にいるのだ。
 翌日(22日)今度はホテルの無料バスで新石垣空港へ。午前10時過ぎの琉球エアコミューターの与那国空港行きはプロペラのボンバルディア機だ。機までは歩く。機体をバックに写真を撮る人が少なくない。残念ながらまたも島々の見えない側の座席だった。25分して、断崖を波が洗う与那国島が見えた。小さな空港ビルだが、滑走路は2000㍍とそこそこあるのだ。
 数日前から何度も断られていたのが、どういう訳か前日やっと予約が取れたレンタカーで早速、東端の東崎(あがりざき)灯台を目指す。途中、町役場のある祖納近くの浦野墓地に寄る。少し高台になった海沿いに大小の亀甲墓がビッシリ。灯台近くに放牧されている馬や牛が出られないよう設置したテキサスゲートを過ぎると自然に生えるというアダンの茂みの向こうに馬、牛が草を食んでいる。与那国馬かな?少し大きくないか?どうも他の種類の馬もいるようだ。駐車場から灯台までの小道は馬糞だらけだが、東崎灯台から何もない海を見る。
 次は南側の道路を通ってそれこそ日本最西端、西崎(いりざき)灯台を目指す。同島は周囲27㌔、「地図でみるとかたちが四国に似ている」(「街道をゆく六」〈司馬遼太郎〉)の高知市あたりになる比川集落を過ぎ、テキサスゲートを超えると道に馬が出ており、道にはまた馬糞。踏まずには車は進めない。Mさんは「何なのだ」と怒っていた。西端に近い丘に与那国駐屯地がある。正門まで行き名乗って写真撮影の了解を求めると、何と「撮りましょう」と隊員が出て来て、正門をバックに2人並んだものを撮ってくれた。沖縄県は反自衛隊感情が強いと言われる。「駐屯地があると攻撃目標にされるのでは」と開設反対の町民も少なくなかった。そのためか。取材以外では初めて駐屯地を訪れるので、分らない。
 西崎灯台は高台というより断崖にあり、一帯は公園になっている。今度は西側の海を見る。残念ながら台湾は見えない。午後6時ごろ再び来て、少し雲に邪魔されたが、日本で最も遅い夕日は見た。有名な「日本国 最西端之地 与那国島」の石碑の裏を見ると「石垣117(㌔)、那覇509(㌔)、台湾111(㌔)…」。驚いたのは、昭和55年3月の島内2つの中学校卒業生の建立と刻まれていたことだ。
 東側を眺める久部良漁港とその集落。終戦後の数年間、台湾との密貿易の中継地として殷賑を極めた港であり集落だ。当時、島の人口は1万2000人(現在は駐屯地の開設で少し盛り返してが、それでも約1700人)に膨らんだという。「沖縄 だれにも書かれたくなかった戦後史」(佐野眞一)が詳しく、私はこの著書で知ったが、説明板もなく、痕跡は分らなかった。
 近くの人減らしで妊婦を飛ばせたという伝説のある岩場「久部良バリ」も見たが、すでにこの原稿は長い。この件などはできたら稿を改めたい。
 1泊後、また機上に。今度は座席から八重山諸島が鳥瞰図のように見えてうれしい。石垣島ではレンタカーで島内を一周。ほぼ中央部にある石垣駐屯地を捜した。正門での応対はやはり丁寧だった。
 翌日(24日)は竹富島を見学。新石垣空港で即売していた「八重山日報」(90円だった)の第一社会面の肩(左上)には「沖縄を戦場にするな」の見出しで南西諸島の自衛隊増強に反対する市民の集会が23日、那覇や石垣で開かれた記事があった。一方で3面の「視点」と題されたコーナーはこの集会を取り上げ「(前略)『沖縄を二度と戦場にしない』という集会の趣旨には全く同感だが『平和』を連呼したり、非武装を志向するだけでは平和は来ない。(略)平和を実現するには、したたかな外交力と、外交を基礎づける強靭な経済力、軍事力が必要だ。(後略)」と主張していた。
 帰路は琉球弧が見える側の座席だったが、雲で見えず、搭乗前のビールと泡盛が効いてほとんど、眠っていた。(12月11日)

陸上自衛隊与那国駐屯地正門で(隊員がシャッターを押してくれた)