投稿者:岸本 隆三

 「喪中(欠礼)はがき」ももう終わりかけているが、年々、それで亡くなった人を知ることが増え、新型コロナ禍以降、一段とそれが進む。70歳を過ぎ、亡くなったのが、友人知人の父母らから本人も混じるようになって、もっと早く知りたく、お悔やみを申し上げたかったと思う。
 葬儀が変わってきているのだ。新型コロナ流行初期、通夜、葬儀で感染したとの報道もあり、家族や親類、親しい関係者以外の人も参列していた一般葬儀が行われなくなり、すでに増えつつあった家族葬や直葬の流れが加速された。新型コロナが2類から5類になって一般葬儀も復活したが、流れは変わらない。読売新聞の訃報はほとんどが葬儀、あるいは告別式は「近親者で済ませた」が多く、亡くなってから日が経っているのが増えた。葬儀がまだでも「近親者で行う」との予告が多い。
 故人の遺志もあるのだろう。あらゆる告知を拒否する遺族もいるし、葬送にも遺志が反映し、葬りかたも増えていろいろだ。人工衛星に遺骨の粉末を載せて地球を一定期間周回する宇宙葬もある(読売新聞9月7日夕刊)というから驚きだ。しかし多くは簡素に地味になっている。
 話は古いのだが、「知の巨人」と言われたジャーナリストで評論家の立花隆さんが80歳で亡くなって1年後の昨年4月30日、NHK総合テレビで「見えた 何が 永遠が ~立花 隆 最後の旅~」が放送された。昨年末に衛星放送で「完全版」をやっていたから見た人も多いと思う。とにかくビックリしたのだ。あの有名な猫ビルに収蔵されていた膨大な書籍(出演者の1人は10万―20万冊と言っていたが、3万冊を超えるぐらいだったのか)がなくなっていたのだ。「1冊残らず古本屋で売り払って欲しい」との遺言だったという。さらに「墓も戒名もいらない。遺体はゴミとして捨てて欲しい」。「脳死」「臨死体験」「ガン」などについて調べ、取材し、書いて来た人の遺言だ。番組は、立花さんは何を見て、何を知ったのかを追っていくのだが、「死後の世界の存在を証明する科学的根拠はない」「死んだら物質的には無に帰る」などの発言も紹介していた。さすがに遺族はゴミで出すわけにもいかず、樹木葬にしたようだ。
 「多死社会」である。厚生労働省の「人口動態統計」によると2022年の死者は前年から12万9000人余増えて156万9050人。50年前の1972年(68万3751人)の倍以上だ。今後も続く。今夏、記者時代の先輩の葬儀に参列した。亡くなってから4日後、それも友引の日だった。火葬場がいっぱいなのだ。火葬までの安置の時間が長くなっており、地方には冷凍の安置設備もないため、ドライアイスをつかうことになるが、それが原因の二酸化炭素中毒で亡くなる人も出ている(読売新聞9月2日夕刊)。
 先月、日本最西端の与那国島に行き浦野墓地などで巨大な亀甲墓に圧倒された。同島は知らないが、墓事情も変化している。全国的には無縁墓が増え、また墓じまいする人もすくなくなく(一般会員の大矢雅弘さんが「KLASS FUKUOKA」第5号にそのへんの事は書かれているのでそれに譲る)、納骨堂を利用する人が増えているという(「葬式消滅」〈島田裕巳、G.B.〉)。
 福岡市西区のJR今宿駅前に都市型納骨堂が開設されたと聞いて先日、出かけた。駅から数分、3階建てのビルで、隣は地方銀行支店、道を挟んで前はJA(農協)事務所。イメージする納骨堂とはずいぶん違う。聞くとビルがお寺で3階が本堂で、1、2階が境内にあたるという。1、2階に納骨堂、礼拝施設があった。
 三男で田舎の墓に入る訳にもいかず、博多湾と田舎の海に散骨したらどうかと考えて来た。しかし、この納骨堂は1人40万円もあるといい、交通の便も良く、宗派は違うが「散骨など面倒だ」と言われたら、ここでもいいかな、と考えている。(12月5日)

与那国島の巨大な亀甲墓(11月23日)