投稿者:岸本 隆三
ロシアのウクライナ侵攻(ウクライナ戦争と呼ぶ)から8月24日で半年となった。その日の読売新聞紙面は当然のことながら「露侵略半年」特集記事や関連一般原稿で、あふれていた。毎年8月23日に開き、今年20回目を迎えた「シベリア・モンゴル抑留犠牲者追悼の集い」の記事も第二社会面にベタ(1段)で掲載されていた。抑留犠牲者は第二次世界大戦で当時のソ連が1945年(昭和20年)に対日参戦によってうみだされた。原稿を読みながら、77年前の戦争と今の戦争を考えた。
「集い」は旧ソ連各地とモンゴルに抑留(ウクライナにも約5000人)され、亡くなった人を追悼するもので、シベリア抑留者支援・記録センターが東京都千代田区の国立千鳥ヶ淵戦没者墓苑で開いている。8月23日は旧ソ連の最高指導者スターリンが日本兵らの抑留を命じた日という。抑留されたのは57万5000人でうち5万5000人が死亡したとされている。
ソ連は1945年8月8日午後11時(日本時間)日ソ不可侵条約を破り、ソ満国境3か所から満州国に侵攻。日本がポツダム宣言を受け入れた後も、満州国解体(8月18日)しても攻撃はやまず、一般の在留邦人は殺害、強姦、そして略奪と凄まじい犯罪行為を繰り返えされた。将兵は武装解除され「トーキョウ ダモイ(帰国)」と騙されて、シベリアをはじめ、ソ連各地に連行され、使役させられた。これも間違いなく戦争犯罪だが。
ソ連将兵の抑留後の将兵への略奪はもとより、満州では備蓄食糧、武器弾薬をはじめ日用品から工場等の機械設備などありとあらゆるものをソ連に運んでいる。これは国家、軍による堂々たる略奪だ。満州以外では樺太、千島列島を占拠、歯舞諸島を占領したのは9月5日で、すでに9月2日の戦艦ミズーリー号で日本の降伏文書調印の後だった。
対日参戦については「シベリア抑留全史」(長勢了治著、原書房)を参照して書いているが、著者は、参戦は(ロシア帝政時代の)日露戦争の復讐であり、それで失った南樺太、千島列島の回復のためであり、ソ連が太平洋への出口を確保する安全保障政策の実行だとしている。
そして今回のウクライナ戦争。
プーチン大統領の言う作戦目的はウクライナ政府による東部地域でのジェノサイドから市民を保護するため。かつての日本も含め出兵に際してよく使われ、具体的証拠もなく誰も信じない。
兵による食料品の略奪がビデオ録画され、民間施設にミサイルが撃ち込まれ、占拠地では市民の拷問と殺害が伝えられる。ロシア側に「保護」「解放」された市民は本当に保護、解放されたのか、文字通りシベリア送り、虐待、強制移住はないのか。プーチン大統領に領土的野心はなかったのか。
社会主義国から表向きは民主主義国のロシアになり、体制も人も変わったのにやっていることは77年前と変わらないのではないか。いや核兵器を保有しているだけに悪くなっているというべきか。本当におそろしいのだ。(8月31日)