投稿者:岸本 隆三

 7月3日、静岡県熱海市で大雨による土石流が発生、死者、行方不明者は30数人に上っている。スマホ社会とあって映像があるのは驚かないが、恐怖を感じる。あれでは発生に気づいても逃げられないし、またどう逃げるのか。
 しかし豪雨被害はどうして毎年、7月上旬に起きるのか。1年前の球磨川氾濫など熊本県を中心に災害関連死も含めて死者・行方不明者81人を出した九州豪雨は4日、3年前、広島、岡山、愛媛を中心に14府県で300人以上の死者を出した西日本豪雨の被害が最も出たのは6日から7日にかけてだ。4年前の5日は福岡、大分両県で42人の死者・行方不明者を数える九州北部豪雨。
被災地はまだまだ復旧、復興途上にあるのに、そして今回。さらに悪いことに被災後も梅雨は明けない。
 私はかつて災害取材をし、豪雨被害は梅雨末期に起き、被害が出たら梅雨が明けるとの印象を持っていた。
 もう40年近く経った。1982年の長崎大水害は7月23日だ。長崎市とその周辺は午後7時ごろから集中豪雨に襲われ、隣町の長与町では1時間雨量187㍉を記録、長崎市内での24時間雨量は527㍉に達した。河川は氾濫、土砂崩れが頻発、夜間とあって避難もままならず、死者・行方不明者は299人。当時は災害関連死の考え方はなく、あればもっと多かったかもしれない。豪雨の原因は「湿舌」と言われた。
 翌年の23日は島根県浜田市など同県西部を中心とした昭和58年豪雨が起きる。死者・行方不明者は112人にのぼった。いずれも間もなくして梅雨は明けた。
 水害は九州を中心に西日本で多い。それが今回は静岡県など東海、南関東。豪雨被害が早まるとともに、被災は東進、北上して拡大している印象だ。台風も2年前には千葉県に大きな被害をだしている。
 原因は地球温暖化による海水温の上昇、異常気象によるとの見方が多いようだ。
 長崎大水害では土砂崩れによる犠牲者が多かった。それも都市化による新興住宅地で。古い街中では見られなかった。今回の熱海市の土石流は大量の盛り土が原因か、と言われている。盛り土は傾斜地の住宅地の上だから、というのが恐ろしい。
 原因はそうなのか。さらに施工、管理、監督、指導はどうなっていたのか、と問いたい。
このことは災害の度にいつも繰り返されたが。
身の危険はいつでもどこでも潜んでいる。ITの進歩で天気予報、現況はスマホなどで入手可能だ。情報収集して、逃げるが勝ちと早めの避難しかないのか。そうした現場に幸いにして置かれたことはない。その判断、決断そして行動ができるのか、どうか。(7月7日)