投稿者: 上原 幸則
「紫電改のタカ」(ちばてつや作)という漫画(1963年~1965年)を中学生時代に読んだ。太平洋戦争末期に本土に押し寄せる米軍機を相手に、旧日本海軍航空隊の若きパイロットが仲間と共に局地戦闘機「紫電改」を操って戦う姿を描いた戦記物漫画。主人公のひたむきさと戦うことの苦悩も描かれていた。日本が復興して高度成長期を迎えたこの頃、戦争を題材とした漫画の全盛期だった。
紫電改は零戦の後継機として採用され、生産数は約400機。優れた機体で精鋭部隊の第343海軍航空隊「剣部隊」に集中配備され活躍した。戦後、新聞などで一般にも知られるようになり、漫画にも登場した。
その紫電改が今年の4月8日に、鹿児島県阿久根市沖で引き揚げられ、6月21日に出水市で記録映画の上映会があった。横浜、福岡から来た人もおり約900人が観た。
記録によると、2023年(令和5年)5月、「阿久根の折口海岸に旧日本軍機が残存している」と情報があった。8月の出水中学校(昭和45年卒)同窓会で話題になり、有志を募り調査を始め、史料から紫電改と特定。24年4月の潜水調査で機体を確認。旧日本軍の飛行機は国有財産にあたるため、財務省九州財務局鹿児島財務事務所とも折衝を重ねた。25年2月、特定非営利活動法人「北薩の戦争遺産を後世に遺す会」を設立、引き揚げへの呼びかけと資金集めが本格化した。機体引き揚げには、地元のダイバー、建設会社が協力した。機体に大量の海砂が吸い込まれており、作業は機体に損傷のないよう慎重に進められた。
記録映画では、両翼を広げ、台船につり上げられる姿をドローンで撮影した映像が紹介され「飛んでいる姿にも見える」と語る人もいた。
紫電改のパイロット、343航空隊・戦闘第407飛行隊隊長、林喜重大尉は1945年4月21日、国分基地から飛び立ち、出水上空でB29の編隊と交戦、被弾して不時着して亡くなった。映画では24年の生涯も紹介された。
機体は今、出水市内に設置された水槽に移されて塩抜きが行われている。機体に残っていた銃弾731発は、今の法律に基づき、自衛隊が処理したという。操縦席はほぼ原形をとどめており、林大尉は離陸のたびに覚悟を決めて操縦桿(かん)を握っていたのだろう。機体を見ていると、戦争の実態が伝わってくる。
映画の案内や水槽で応対していた「北薩の戦争遺産を後世に遺す会」のメンバー十数人のうち、ほとんどは70歳代(最年少は32歳)。会を立ち上げ、広報活動、引き揚げ日程の策定、各団体、行政との調整と、ここまで運営してきた気概には頭が下がる。
現在、国内で紫電改を展示している施設は愛媛県愛南町の1か所。遺す会は、今後、紫電改を戦争遺産として展示できる施設を出水市に建設する計画だ。代表の肥本英輔さんは「戦争の語り部として残していきたい」と語る。
漫画で見た紫電改の実機を見ることができるとは! 戦後81年ぶりに浮上した紫電改が、戦争の記憶と平和の大切さを後世に伝えていく存在になるよう、願っている。(7月3日)
