投稿者:古賀 晄
2026年も年明けから通り魔殺傷事件や焼死者が出る火災が相次いでいる。新聞社の新米記者はまずサツ回りで現場を駆け回り取材のノウハウを覚える。先輩記者からこんな格言を教えられた。「殺し3年、火事8年」。殺人事件は3年もすれば取材のコツがわかるが、火事は炎に煽られて混乱するので、取材に慣れるのに8年かかるということだ。実際、火事現場の取材は難しい。まず必要なのは写真撮影だ。状況をすばやく判断してどこでどう撮るかで紙面に差がでる。
初任地の長崎支局で事件担当1年目の春、長崎市の高台で住宅数十軒が全焼する火災があった。各社は取材機を飛ばして航空写真を狙ったが、現場上空に着いた時はすでに日没。空からの撮影を断念して引き返していった。
私は、1軒だけ焼け残った2階建ての民家に目を付けた。現場に集まっていた中学生数人に百円玉を1枚ずつ配り人間やぐらを組んでもらった。それを足場に屋根へ飛び移ると、まだ炎の残る焼け跡が一望できた。シャッターを数回切り、急いで撤収。支局で現像すると、火災の規模の大きさが一目でわかる写真が見事に浮かび上がった。
翌朝の他紙には、焼失規模を示す写真はなかった。私は努力賞と金一封をもらい、先輩からも「よくやった」と褒められた。これをきっかけに火事現場で炎に煽られても冷静で、どんな修羅場でも肝が据わったつもりだった。
定年退職して20年。去年12月の早朝、私の住むマンション全体に火災報知器のベルが鳴り響いた。11階建ての10階までは各5世帯。わが家は最上階の11階、3世帯の真ん中だ。ベランダから覗くと、10階の直下の部屋からモクモクと黒煙が上がっている。慌てて119番すると、「1秒でも早く避難を!」と急かされた。頭が真っ白になり、手元にあったスマホと財布、健康保険証を引っ掴んで外へ出た。
ところが、エレベーターは消防隊と警察官が使っていて、住民が乗れる状況ではない。足腰の持病がある身だけに、やっとの思いで10階まで階段を降りた時点で逃げる気力を失った。妻のスマホに電話すると反対側の階段で避難したと聞き、まずは安心した。
これで気が変わった。ボヤで済んだようだが、状況がわからない。記者根性がムラムラと湧いてきて、消防隊と警察官でひしめく現場に首を突っ込んだ。
火元の部屋は、奥さんを亡くして間もない高齢男性が独り暮らしだった。朝食を作ろうと注いだ食用油の鍋に火が入り、一気に天井まで燃え上がったという。隣の奥さんが各階備え付けの消火器を抱えて駆けつけ、なんとか初期消火に成功した。玄関の鍵がかかっていなかったのが幸いした。間に合っていなければ、真上のわが家も被害を免れなかっただろう。
長年、火事や災害の修羅場をくぐってきたはずなのに、非常持ち出し袋の存在すら忘れ、消火活動にも加われなかった。若い頃なら迷わずカメラを引っ掴んで駆けつけただろうに。あれほど場数を踏んだ経験は、なんの役にも立たなかった。
10階の踊り場に悄然と立ち尽くす自分がいて、こうつぶやくしかなかった。
「ワシも焼きが回ったか」。(2月25日)
