投稿者:澤田孝雄

 2月末に長崎県の平戸市に家族で旅行した。次男が「急に休みが取れた。雲仙か平戸に行こう」と、その1週間前に電話してきた。ホテルを調べると、この2か所のホテルに1室だけ空いているのを見付けたという。行ったことが無い平戸市を選んだ。
 当日は、朝早くに家を出て山に登るという。低いが五島列島が一望出来るそうだ。ネットで調べるとたいしたことはなさそうで、登山靴は用意しなかった。着いたところは平戸島の南端にある志々伎山(347m)。中腹まで車で行ったので、まあ大丈夫かな、と思ったが、登り始めると、あっという間にロープを使う急な坂。前日までの雨で湿った岩は滑るし、危険を感じリタイアした。7歳(男)と10歳(女)の孫は次男と登って行った。やがて降りてきた孫たちは、怖かったけど景色が良かったと大喜び。
 私は、ただうつむくのみ。
 宿に向かう途中。中国風の人物像を見かける。「鄭成功」という字も目に付くようになった。鄭成功記念館というのも通り過ぎた。「あの人誰?」と問われ、登山での汚名をそそごうと、「母親が日本人で父が中国の人で、明に渡り明のために力を尽くした歴史上の英雄。歌舞伎の題材にもなった人……」と知っていることを並べたが、これで小学生に分かるわけもなく、私も平戸との縁も知らなかった。
 ホテルに着くと、ロビーにも、すぐ前の浜辺にも像がある。なんでもその浜辺「千里ガ浜」で生まれたという話が残るとか。平戸市のホームページには「平戸生まれの東アジアの英雄 鄭成功 生誕400周年記念事業開催」のポスターが掲載されている。今年の夏から、鄭成功が活躍した中国・南安市や台湾・台南市との交流活性化などを図るそうだ。
 うーん、ここは東アジアの英雄の生誕地だったか。
 翌日は、月に一度の軽トラ市が商店街で開かれているというので、のぞいてみた。そこで「三浦按針終焉の地」「按針の館」の看板を見る。三浦按針と言えばウィリアム・アダムス。ヨーロッパから苦難の航海の末、日本に着き、家康に高く用いられたイギリスの人ではないか。ジェームス・クラベルが二人をモデルに書いた歴史小説「Shōgun」は何度か映画化されている。その人が、平戸で人生を終えていたのか。
 知らなかった。知らないことばかりだ。
 今回は、自分の力のなさと無知を知る旅だった。やっぱり旅は役に立つ。(3月1日)