投稿者:上原 幸則
お気に入りのテレビ番組・NHKBSの旅番組「にっぽん縦断 こころ旅」の再放送が多く、火野正平さんの最近の姿を見ないと思っていたら、腰痛の悪化で、11月14日に亡くなっていたことが報じられた。75歳だった。
この番組は、火野さんが視聴者から寄せられた便りを元に自転車で日本全国を訪ね、こころの風景が残る場所で、便りを読む企画。大河ドラマや映画ではクセのある役が多く、若い時はプレイボーイで週刊誌、スポーツ新聞の芸能欄をにぎわしていたが、番組では気取らない語り口で、自然体の人柄が出ていた。高所恐怖症で高い橋をこわごわ走る様子や、上り坂を息をこらして上りきった後、「人生、下り坂最高」と快走!
会社を定年退職、人生の折り返し地点を過ぎ余生を考えるようになった身に「下り坂でもまだ、いける」と勇気を与えてもらった。
2013年1月16日の放送は、鹿児島市が舞台だった。県立甲南高校の卒業生で、福岡市在住の女性(当時45歳)からの手紙に「30年前の高校時代は重い鞄を持って、高麗橋を渡って通学していた。私は何の苦も無く守り抜いたが、校則に男女交際禁止とあった。今はどうなっているのだろう」とあり、確かめるため、同校を訪れた。応対したのは、偶然にも卒業生の女性教頭(後に校長)。手紙を寄せた女性の6つ先輩。男女交際禁止の校則は改訂されており「30年前にあったかどうか、記憶にありません」。これに、火野さんが「さては、教頭先生は校則を守っていなかったのでは」とつぶやく。映し出されたドームのある校舎とお二人の軽妙なやりとりに和み、母校への懐かしさが募った。
確かに母校の生徒手帳には「学生の本分は勉学であり、男女交際は慎み、外出は制服、制帽で……」と書かれていた記憶がある。わたしも校則で禁止されるまでもなく、男女交際には縁がなかったが、同期生同士で数組が結婚しており、うまくクリアしたのであろう。
高麗橋は石組みのアーチ式で 江戸時代末に甲突川にかけられ、車も通っていたが1993年(平成5年)の8・6豪雨の後、祇園之洲の石橋公園に移築された。火野さんは、ここで手紙を読んだ。
似たような番組に笑福亭鶴瓶さんの「家族に乾杯」(NHK)と前川清さんの「笑顔まんてんタビ好き」(KBC)がある。お二人とも70歳代。火野さん亡き後、同年代に元気を与えるよう、長く頑張ってほしい。(12月4日)