投稿者:上原幸則

 1月14日は、母の命日。20年前の三回忌を思いだす。自宅で法事を営めるよう半年前から、菩提寺の高齢の住職に読経を頼んでいた。が、約束の昼前になって急に体調をくずした、と断りの電話があった。
 お坊さんのいない法事とは? 遠くは関東、関西からも親戚ら50人が来てくれており、改めてという訳にもいかず、思案に暮れた。しばらくして、熱心な仏教徒の叔父が、門前の小僧よろしく、諳んじていたお経をあげてくれた。それに合わせて親戚一同が、次々に焼香した。
 住職の説教も無くなって、時間に余裕が出て、母を偲んで昔話に花が咲いた。「にぎやかなことが好きな人だったので、静かな法事より、かえって喜んでいるかも」。平凡な母だったが、集ってくれた人の心にはまだ生きていると、嬉しかった。お経も知っている箇所はみんなで唱えた。「こんな三回忌は、初めてだったが、手作りのよい供養ができ、思い出となる」と異口同音に言ってくれた。住職が予定通りに見えて型通りに済んでいたら、参列者の心には響かなかっただろう。
 令和4年(2022)9月、新型コロナの第7波の渦中に、老人ホームに入所していた叔母が感染して亡くなった。感染防止のため、施設から火葬場へ。葬儀には約30人が参列。祭壇には、遺骨が入った壺と遺影が置かれていた。棺は無く、最後の言葉をかけることも献花も出来なかった。短めの読経のなか、焼香して散会となり、親戚の人らと叔母の思い出や近況を語り合う場はなかった。
 コロナ禍では、移動の自粛や密を避けるため、儀式を省いた直葬や家族だけで葬儀と、簡素化が進んだ。一方で、新型コロナが感染症法上第5類に移行、行動制限も無くなり「弔い直し」の動きが出ている。最後に十分なお別れが出来ず喪失の苦しみが残ったままになっていることや、故人と親しかった多くの人に偲んでほしい、などが理由という。「弔い直し」に対応した寺院や葬儀社もある。
 葬儀は故人と家族の縦の関係と親戚や知人ら横につながる関係の人が集い、旅立ちを見送って安寧を祈り、遺族の心を安らかにする役割もある。遺族にとって故人を中心とした一つのコミュニティーが形成されることは、再生への力となる。
 「弔い直し」は、葬儀の本来的な意義や役割を問い直していると言えるだろう。年末から年初にかけ著名人の訃報が相次いだ。お笑い芸人の坂田利夫さん、82歳。写真家の篠山紀信さん、83歳。老衰とあった。私も74歳。法事、葬儀は一定の形式通り執り行われた方がよい、と思うようになった。(1月22日)