投稿者:大矢 雅弘
沖縄は日本を映す鏡であり、沖縄を知れば日本が見えてくるといわれる。沖縄で3月に先行公開され、約4カ月経ってようやく福岡で公開されたドキュメンタリー映画「太陽(ティダ)の運命」を観た。
監督を務めたのはTBSで「筑紫哲也NEWS23」などに携わり、約30年にわたって沖縄の問題を追い続けた佐古忠彦さん。沖縄についての映画は2017年の「米軍が最も恐れた男 その名は、カメジロー」以降、「米軍が最も恐れた男 カメジロー不屈の生涯」「生きろ 島田叡 戦中最後の沖縄県知事」に続く4作目だ。佐古さんが系列の琉球放送と協力し、豊富な資料映像と関係者への取材で構成した。
タイトルの「ティダ」とは太陽を意味し、その昔、沖縄でリーダーを表す言葉だという。今回の映画は、歴代知事のうち最も激しく国と対立した2人、復帰後第4代の大田昌秀氏(おおた・まさひで、任期1990~98年)と第7代の翁長雄志氏(おなが・たけし、2014~18年)に焦点を当てた。米軍普天間飛行場返還に伴う辺野古移設の問題を沖縄県知事の視点から捉え直した作品だ。
福岡市での上映後に舞台挨拶に立った佐古さんは「相克の関係にあった2人が長い時を経ながら、どんどん重なっていくようになるのは一体なぜなのか、それこそが紐解きたいと思った。そこにこそあるのが沖縄の歴史であり、この国が沖縄にどう相対してきたかの答えがそこにある」と話した。
大田氏は学者で革新。一方、翁長氏は、父も兄も政治家の家に生まれた保守。自民党沖縄県連幹事長で県議時代の翁長氏は、大田県政と真っ向から対立して批判し、知事選で大田氏の3選を阻んだ。翁長氏は県議時代には辺野古移設推進派だったが、その後、反対の立場に転じ、県外移設を公約した第6代知事の仲井真弘多氏(なかいま・ひろかず)を支援する。仲井真氏が当選後に移設受け入れに転じたことからたもとを分かち、知事選に出馬して当選。大田氏と同様、国に対し徹底抗戦するという立場になり、かつて対立した二人は、その言葉も歩みも重なるようになっていく。
沖縄の米軍基地問題をめぐって、一つの転換点となったのは1995年9月、小学生の少女が3人の米兵に暴行された事件だろう。米軍は、日米地位協定を理由に、容疑者の起訴前の身柄引き渡しを拒否し、協定の不平等さが改めて明らかになった。翌10月には、事件への抗議と基地の整理縮小、日米地位協定の見直しを求める県民総決起大会が開かれ、8万5千人が集結した。当時の大田知事に、米軍用地の強制使用手続きの代理署名拒否を決断させるきっかけともなった。
米軍基地の整理縮小を求める沖縄の声に対し、日米両政府は1996年4月12日、普天間飛行場の5年から7年以内の返還で合意し、橋本龍太郎総理がモンデール米駐日大使とともに記者会見で発表した。私自身が4月1日付で(朝日新聞)那覇支局に2度目の赴任をして2週間足らずのことだった。それから2年間、現地で取材をする私にとっても、怒濤のような日々が続いた。当時の政治状況を反映して、その4月から支局の要員も2人から3人に増員された。当然ながら、そんな人員で対応できるはずもなく、東京や大阪など他本社から入れ替わり立ち替わり、大勢の記者が応援に駆けつけてくれた。
それはさておき、映画で非常に印象に残る場面がいくつもあった。その一つは「筑紫哲也NEWS23」の映像で、知事を引退した大田氏と、彼が知事時代の首相補佐官だった岡本行夫氏の二人が対話する場面だ。岡本氏が「例えば、100人亡くなっていたものが1人に減るというのであれば、確かに危険性はゼロにはなっていないけれど、その方がベターな選択ではないか」と言ったのに対し大田氏は「100人でも1人でも命の重さは変わらない」と前置きし、「常に多数が少数に我慢を強いる状況は、健全な民主主義ではない」といった趣旨の表現で応じた。大田氏は暗に「100万人の沖縄が犠牲になってくれれば、1億人の本土が助かる」とも受け取れる岡本氏に代表される本土側の発想に痛烈な異議を唱えていたのだろう。
映画には、作中とラストの2度、沖縄の本土復帰前の1968年に発刊された大田氏の著作の冒頭の一節が出てくる。「日本人は醜い――沖縄に関して、私はこう断言することができる。」
沖縄への基地集中という状況を放置し続けている本土の私たちの胸に深く突き刺さる。(8月1日)
