投稿者:大矢 雅弘
ハーヴェイ・ワインスタインという名前に記憶があるだろうか。ネットの百科事典「ウィキペディア」では、「パルプ・フィクション」や「恋に落ちたシェイクスピア」、「英国王のスピーチ」など、アメリカ映画界に新風を吹き込んだ大物プロデューサーとしての経歴がまとめられている。加えて、女性に対し性暴力事件を繰り返して有罪を宣告された男と書けば、記憶している人も多いのではないか。
ワインスタインは、米国を代表する高級紙ニューヨーク・タイムズに2017年10月に掲載された調査報道記事をきっかけに起訴され、2020年にニューヨーク州の裁判所で23年の禁固刑判決を受けた。さらに2023年2月、カリフォルニア州の裁判所で16年の禁固刑を言い渡された。カリフォルニア州で決定した禁固刑は、ニューヨークの禁固刑が終了後に始まるため、現在、70歳のワインスタインは生涯、刑務所で過ごす可能性が高くなったという。
映画「SHE SAID/シー・セッド その名を暴け」は、性暴力の告発運動として世界に波及した「#MeToo」運動に火をつけた記事が世に出るまでを描く。ニューヨーク・タイムズの調査報道記者、ミーガン・トゥーイー(キャリー・マリガン)とジョディ・カンター(ゾーイ・カザン)は、性暴力の情報を得て調査に乗り出す。
二人の記者はさまざまなルートをたどって被害者とおぼしき人物を探し出し、事情を聞こうとするが、片っ端から断られる。それでも地道な取材を積み重ね、幾人もの女性に会う。最初はオフレコ(非公表)を条件に話を聞くが、女性たちは示談金を支払われ、秘密保持契約を結ばされていることも多いために、だれもが実名で告発しようとはしなかった。
そんな現実のぶ厚い壁に阻まれながらも、二人の記者は丹念で粘り強い取材を続け、事実を掘り起こし、積み上げていく。その結果、ワインスタイン側の関係者から性的被害をききとった報告書を入手する。実際の被害者であるアシュレイ・ジャッドが本人役で登場し、自分の名前を書いていいと記者に伝える場面に心が揺さぶられた。
2人の女性記者の記事は大きな反響を呼んで本にもなり、ピュリツァー賞も受賞した。2人が所属するニューヨーク・タイムズもかつては、発行部数と広告収入の減少に苦しんでいた。そんな業績不振からの復活の原動力となったのが、独自の調査報道だった。2人の記者が報道した記事もその一つだったことをノンフィクション作家、下山進氏の著書「2050年のメディア」(文藝春秋)で知った。
ニューヨーク・タイムズは、いち早く紙媒体からデジタルシフトし、デジタル版の有料購読モデルの先駆社として、飛躍的な成功を収めた。紙とデジタルを合わせた総契約数は2021年には1千万件を突破し、業績のV字回復を果たした。
一方、国内に目を向けると、かつては公称800万部以上と宣伝していた朝日新聞の部数は2022年下半期には400万部を割って約397万部となった。百年余りの歴史がある日本でもっとも古い総合週刊誌のひとつ「週刊朝日」が5月末で事実上の廃刊になる。インターネットの普及がもたらした紙媒体の衰退ぶりは目を覆いたくなるほどだ。
国内でも、朝日新聞に限らず、新聞各社でデジタルシフトの動きは加速しているのだろう。ただ、有料デジタル版の契約者数を着実に増やし、持続可能なメディアへと変革していくには、話題を呼ぶ独自の調査報道で読者をひきつけていくことが必須なのだと改めて痛感させられた。(3月16日)