投稿者: 上原 幸則

姫島に寄せる岸本隆三さんの熱いブログや、機関誌第5号に掲載された長井政典さんの「離島で生きる厳しさと喜び」を読んで福岡空港からJAC機で鹿児島県の離島、屋久島に飛んだ。
 レンタカーで白谷雲水峡へ。原生林の下に苔むした岩、川と清冽な空気。ジブリ映画「もののけ姫」の題材になった。多彩な緑が織りなす景色に感動して管理棟の横を見ると、携帯トイレ回収箱があった。1993年に屋久島が世界自然遺産になって以来、多い年には40万人(島の人口は約1万2000人)が訪れ、し尿処理が問題となっている。山奥からはポリタンク(20㍑入り)に入れて担ぎ降ろしており、負担減へ携帯トイレも導入された。自然を守っていくには身近なところからだ。 
 2日目はヤクスギランドへ。樹齢千年以上の屋久杉や倒木から育っているスギの芽、広葉樹が着生している杉など自然の循環と悠久さを感じた。屋久島は林芙美子の小説「浮雲」がもとで「月に35日雨が降る」と言われ、雨のイメージが強い。2019年(令和元年)5月にはヤクスギランド周辺で大雨が降り登山者ら約300人が孤立、自衛隊も出動して一晩がかりで救出された。自然に対しては謙虚で、かつ備えが大事だ。
 県道を西に向かっていると、シドッチ上陸記念碑が見えた。教科書にも出ていたシドッチ。上陸地は岩の崖で「よく上がれたものだ。使命感が後押ししたのだろう」。イタリア人のキリスト教宣教師のシドッチは1708年(宝永5)、侍姿で島に入ったが、島民に見破られて江戸に送られ、幕府の学者・新井白石から尋問を受けた。尋問を基に書かれたのが西洋紀聞だ。
 宿に戻る途中、豪華な温泉施設があった。1,800円、躊躇したが入った。後で見ると三つ星の高級ホテルの施設。妻は「お湯に入ると、ホテルに泊まった気分になったよ」。大物だ!     
 3日目にガジュマル公園横の小さな港で、おにぎりを食べていると海面が動いた。体長約1㍍のウミガメ。水族館以外で見たのは初めて。
 西郷隆盛上陸地の碑もあった。1862年(文久2)6月、2度目の島流しの途中、船が漂着して1週間ほど滞在した。幕末の舞台から離れ行く先への不安・焦燥のなか、屋久島で何を考えただろうか。
 西部林道(約15㌔)へ進む。亜熱帯性、広葉樹の原生林に覆われ昼も暗い。携帯電話は通じない。車一台がやっと。慎重に運転していると路上に動くモノが。サルだ。5,6匹が身繕いや木の実を食べている。道を譲ってくれるのを待った。
 林道を出ると、海の近くに湯泊温泉があった。入り口の筒に志の300円。男湯と女湯をシートで区切っただけの露天風呂。台風で海砂が入ると住民でかきだす。岩場に衣服を脱いで入る。湧き出る湯に浸かり夕陽が大海原に沈む風景に見とれ、自分が地球の一員にすぎないと感じる。
 ゆっくりした時の流れ、人も優しい屋久島だったが、昨年11月に沖合で米空軍のオスプレイが墜落、近くの馬毛島では自衛隊の基地整備が進む、帰りの機上からは、周辺の波は高いように見えた。(11月15日)