投稿者:大矢 雅弘
退職後の今は、サンデー毎日の身なので、映画館に足を運ぶ機会が増えた。映画「ら・かんぱねら」は、パチンコばかりしていた中年男性が50歳を過ぎて一念発起して独学でピアノを始め、フランツ・リストの難曲「ラ・カンパネラ」を弾きこなすことができるようになるまでを描いている。
映画の物語はまったくのフィクションではなく、佐賀市のノリ漁師、徳永義昭さんが実際にたどった実話を基にしている。俳優の伊原剛志さんが主人公を務め、妻役は南果歩さんが演じている。ある日、世界的ピアニストのフジコ・ヘミングさんが弾く名曲「ラ・カンパネラ」の演奏をテレビで見て心を打たれ、ピアノを弾き始める。映画は、ひたむきにピアノに向き合う主人公の姿を中心に、それを支えた妻や仲間との絆に加え、ノリ漁の現場もきめ細かく丁寧に描いている。
映画の作中、「夢があれば、生きていける」という台詞が繰り返し語られる。「言いたかったのはこのことだ」と、シナリオを練り上げた鈴木一美監督が念を押しているように思えた。
ラジオの番組で鈴木さんがインタビューで語っているのを聴いた。作中の「ラ・カンパネラ」の演奏は、主演の伊原さんが「吹き替えをせず、どうしても自分で弾きたい」と熱望し、猛練習を重ねたことを知った。鈴木さんによると、世界的な人気ピアニストで視覚障害者の辻井伸行さんは「ラ・カンパネラ」を5分前後で弾く。昨年亡くなったフジコ・ヘミングさんは5分半か6分前後で弾く。映画のモデルになった徳永さんは7分弱くらいで弾く。一方、伊原さんは11分で弾き、鈴木さん自身は「ちょっと長い」と感じたそうだ。それでも、観客の女性たちからは「もっと聴いていたい」という反応だったという。伊原さんが弾く「ラ・カンパネラ」は、いわば「妻に捧げるバラード」として好意的に受け止められたようだ。
映画制作会社代表の鈴木さんは現在、69歳。「ら・かんぱねら」が監督デビュー作だという。鈴木さんのプロフィールをネットで調べると、プロデューサーとして、「野球部員、演劇の舞台に立つ」(2017年)などを手がけたとわかり、思い出したことがある。
西日本短大付属高は2004年、12年ぶりに甲子園出場を決めた。同高の国語担当で演劇部顧問の竹島由美子教諭の著作「野球部員、演劇の舞台に立つ!」(高文研)は、甲子園出場の背景に、野球部員による演劇への取り組みがあったことを描いた作品だ。そんな話題を私は、朝日新聞の夕刊コラムで紹介した。その記事を一つのきっかけに、竹島さんの著作を原作にした青春群像劇が映画化された。手元の資料を探してみたら、「福岡県特産の映画が、全国制覇を目指す!」などと銘打った映画企画提案書が出てきた。
その映画企画提案書が私宛てに送られてきた時、私の持ち場は熊本の天草に変わっていたこともあり、映画制作の関係者と会うこともかなわなかった。ただ、資料の中からは鈴木さんの名刺も出てきた。
プロデューサーとして数々の映画に関わってきた鈴木さんは、68歳で長年の夢である監督としてのデビューを果たした。その事実は、今回の映画の作中に再三登場する「夢があれば、生きていける」という言葉を見事に体現しているようにも見える。
ラジオのインタビューで鈴木さんは、全国でのロードショーに続いて、地方の小さい映画館、さらには、公民館など身近な人たちが集まって見るような状況を全国1千ヶ所での上映を目指して準備を進めている、と語った。その言葉通り、例えば、熊本県天草市でただ一つの常設映画館、本渡第一映劇でも3月29日から上映が決まっていると知って、うれしく思った。
映画「ら・かんぱねら」のストーリーもさることながら、映画の作り手をめぐる逸話もまた、シニア世代を元気づけてくれるのではないだろうか。(3月25日)