投稿者:上原 幸則

 彼岸はあの世とこの世が近くなるという。秋の彼岸(9月20日~26日)に合わせた訳でもないが、高校からの友人二人の墓前と仏前に参る機会があった。
 Y・S君。東京農工大を出て金沢の染色会社に就職。2年後に大学時代から交際していた奥様と結婚。勤続10年を迎える矢先、鹿児島の父が亡くなった。「母をみるのは、長男の務め」と古里に戻った。千葉育ち、女子美大出の奥様は、だまってついてきた。なかなか良い仕事は見つからず、自立出来る鍼灸(しんきゅう)師を目指し、学校に入った。退職金は学費に、生活費はアルバイトで稼ぎ、5年かけて資格を取り、鹿児島市の中心部で開業した。丁寧な施術で評判は良く、遠くの患者宅は気軽に自転車で回った。
 70歳代で難病を患い、最後は涼しくて、東京にいる長男が駆けつけやすいようにと、昨年6月、霧島の山々が見える鹿児島空港近くに引っ越した。荷物の整理をしていると、趣味のバードウオッチング用の双眼鏡が出てきた。奥様が「これ、どうする」と尋ねると「もう使うことはないだろうから捨てて」。新しい家に移って3か月後の9月に亡くなった。74歳。一生懸命に世話をした母親は98歳で達者にされている。
 命日の21日には、桜島の見える霊園に元化学部OBら友人8人とご遺族が集まった。句が浮かんだ。「友の墓 桜島背に 秋彼岸」。
 92歳の恩師も参列、「3日前にゴルフに行った。かわいいキャディさんに支えられて打った。まだ、大丈夫だ」。昨年10月、再審無罪が確定した袴田巌さんの姉ひで子さん(浜松在住)も92歳。6月の再審シンポジウムでお会いした際は足取り軽く、質問にもしっかりと答えられていた。生き甲斐のある高齢の方は元気だ。
 同期の医師は「人は2度死ぬ。生物学的な死とみんなに忘れられた時だ」。良い話だと聴いていると「実は父の27回忌を忘れていた。当日の昼に気がつき、妻とお寺へ走った」。
 もう一人の友人、M・H君は、慶応大を出て、東京で繊維会社に勤めていたが、2年後に鹿児島の父が死去。5人きょうだいの末っ子。家は花屋を営んでおり、「母親一人では朝の仕入れも大変だろう」と会社を辞め手伝い始めた。以後約50年、化粧品も扱い、地域に頼りにされる店にした。母親は20年ほど前に死去。M君は独身だったこともあり体の数値をチェック、人一倍健康に気をつけ医者からも「年齢よりかなり若い」と言われていた。昨年夏頃から急に衰え、1月6日に亡くなった。最後は兄夫婦がみとってくれた。
 9月23日、兄夫婦宅を訪ね、仏前にお参りした。昨年撮った遺影は、慶応ボーイらしく若々しくシュッとしていた。
 Y君、M君ともに会社勤めを始め仕事が軌道に乗りつつある時期に大きな決断を迫られ、「親と生きる」を選び、天寿を全うした。
 来年からY君の命日前後に集まり、しのぶ会を開く話がまとまりつつある。友人は逝っても、友情は続く。忘れない(9月29日)