投稿者: 上原 幸則
五月の連休は、安くて近い「博多どんたく」へ。1179年(治承3年)に始まったとされる「博多松囃子」が起源で、戦後の1946年(昭和21年)に復活、1962年に福岡市民総参加の祭りとなった。復活から80年、「今年も祝いめでたで日本一へ」と3日に開幕したが、この日は午後から雨。それでもパレードのあった明治通り(呉服町~天神、1270メートル)のどんたく広場には、雨傘を手にした見物客が道路の両側にぎっしりと立ち、次々と繰り出されるどんたく隊の踊り、マーチングバンド、バトンに見入っていた。
三味線や琵琶のグループは、レインコートの下に楽器を包む格好で、不自由ながら一生懸命に奏でていた。案内のアナウンスも「雨が一段と激しくなりましたが、参加者の熱気も負けていません」。雨合羽に身を包んで見ていた高齢の女性は、「ぼんちかわいや」の歌に乗ってお気に入りの民謡チームが差しかかると、用意していたしゃもじを踊りに合わせて打ち鳴らしていた。「これぞ、祭りがつくり出す一体感」。雨のなか、心が少し熱くなった。
パレードを先導する博多松囃子(国重要無形民俗文化財)は、祭りに伝統の重みを伝えている。
4日は快晴。精華女子高吹奏楽部が華麗な演奏で行進してくると、中年の男性が「セイカだ。日本一の実力だ」と周囲にしゃべり出す。部員に親戚の子どもでもいるのだろうか。地元が誇りにしている演奏で盛り上がった。
バトンクラブの参加が増えた気がする。7、8チームはあった。子どもたちが、大きな舞台で伸び伸びと躍動していた。演技を終えた後、やりきった感で得意げな顔がよかった。
50年前の駆け出し記者の頃は、マーチングバンドやバトンチームはあまり見かけず、新天町、天神一帯で、輪が付いて動く桟敷台から「ぼんちかわいや」が流れ、周囲で、鉦と太鼓が鳴り、頭に飾りをつけた女性たちが踊っていた。
また、パレード(この頃は国体道路か)には、博多民謡を中心にした隊に三味線を持った男性も多く参加していた。聞いた話だが、博多の旦那衆は芸事の一つぐらいはということで、三味線を習っていた。中には、芸者が舌を巻くという旦那もいたというから、レベルも相当高かったはずだ。
今年も、三味線を弾く男衆を見てほっとした。良き伝統は続いてほしい。パレード(延べ200団体、約18500人)で演じている人からすると、沿道からの拍手、目を合わせて手を振ってくれることが励みになるとのこと。出来るだけ、大きく手をたたいた。
祭りは、見るだけでなく参加すると楽しい。最後は、総踊りに加わった。両手に杖(つえ)を持っていた高齢の女性は、杖をパッと孫に渡して踊りだした。湯治に来たお年寄りが、効能で杖を忘れて帰ったという杖立温泉を思い出す。福岡民謡舞踏四季の会の女性陣の後について、博多カッチリ節まで踊った。福岡生まれでない者まで包み込む祭りに、新市民として誇りを感じた。(5月11日)
