投稿者:上原幸則
熊本県八代市出身の八代亜紀さん、昨年12月30日死去、享年73。歌はもとより、同年代ということもあって親しみがあった。八代さんが亡くなっていたことが発表された1月9日、地元紙の熊本日日新聞が号外を発行。八代市の広報紙2月号は3ページの特集を組んでいる。八代市役所に設けられた記帳所・献花台には、古里を愛し、古里の人たちからも愛された八代さんらしく、多くの市民やファンが訪れていた。中学同期生一同の供花もあり、70歳代の夫婦は「八代の灯が消えた」。私は「早過ぎましたね」とつぶやきながら手を合わせてきた。
駆け出し記者だった1975年3月のある朝、福岡市・天神にあった福岡県庁向かい側の喫茶店でモーニングをとっていると、約10㍍離れた席で、八代さんが地元放送局のインタビューを受けていた。前々年に「なみだ恋」が大ヒット、紅白歌合戦にも出てスター街道を歩んでいた頃で、目が輝いていた。
八代さんは、「舟歌」や「雨の慕情」などが代表曲で演歌の女王と言われてきたが、災害時に被災者に寄り添った姿が心に残っている。
2011年3月の東日本大震災では、八代市とも協力して、古里で作られた畳数千枚を避難先の宮城県石巻市の体育館などに届け、床からの冷えを防ぐのに役立てた。石巻市役所や小学校には、今も畳が保存されており、八代さんへの感謝を忘れないようしている、という。
2016年4月の熊本地震の後に、東京であったライブでブルース調の「Sweet Home Kumamoto」を熱唱、熊本への支援を呼びかけた。この年、地元で予定されていたコンサートは中止となったが、ステージが設置できるトレーラーで熊本、八代、阿蘇と回り、被災者を歌で励ました。
2019年には、若手芸人のみやぞんとデュエットソング「だいじょうぶ」を出した。心が弱りそうな時に勇気と希望を与える応援歌だ。包み込むような歌声で〈優しいふるさと 後にして 何度も何度も 泣いたけど だいじょうぶ だいじょうぶ いつも心で つぶやいた〉。八代さんの人生も重ねているようだ。
球磨川流域で大きな被害がでた豪雨(2020年7月)の翌年には、球磨村などを訪れ、被災者を前に無料コンサートを開いた。ホテル再建中の女将さんらにも語りかけ、元気づけている。
熊本県から県民栄誉賞、八代市から名誉市民の称号が贈られることになった。功績として、歌手・文化活動はもとより、県内外の大災害の際、被災地を慰問、復興の後押しをしたことが挙げられている。
八代さんが亡くなって2日後に能登半島地震が起きた。熊本出身の石川さゆりさんはヒット曲「能登半島」で「すべてすべて投げ出し駆けつける ……能登半島」と歌っている。八代さんが存命だったら、きっと動いていただろう。自分には何ができるか、募金振込先を新聞で見て郵便局に向かった。(2月15日)