投稿者:長 秀俊

 6月25日付ニューヨークタイムズの投書欄(“Metropolitan Diary”)に「魔法の財布」と題して、次の記事がありました。
 「数年前私はアパートに住み込み、あちこちを転々とする時期がありました。ある蒸し暑い夜、アッパー・ウエスト・サイドで映画デートを終えた後、バワリー通り沿いのブリーカー・ストリートにある友人のロフトまで歩いて帰ることにしました。お金もなく汗だくで、やる気も失っていました。疲れ果てて、プラザホテル前ピューリッツァー噴水の近くの石のベンチに倒れ込みました。倒れ込んだ時、ベンチの下に縞模様の何かがあるのに気づきました。白黒の小銭入れです。拾い上げて開けてみると、中にはペパーミントキャンディーが2つ、身分証明書はなく、そして思いがけない幸運、5ドル札と小銭が入っていました。私は静かに、噴水の上に立つ像「豊穣の女神ポモナ」に感謝しました。エネルギーが湧き上がってきたので、気を取り直してダウンタウンへの散歩を再開しました。5ドルはすぐに使ってなくなってしまったが、あのストライプの小銭入れの魔法はずっと私の中に残っていました。」

 この記事の主人公は、蒸し暑い夜に道端で落ちていた小銭入れを拾い、中身の5ドル札と小銭をそのまま自分の糧にしています。日本の伝統的な道徳観――とくに「正直」「我が身を省みる心」「模範行為」といった価値観――から見ると、いくつかの点で違和感を禁じ得ないと思います。

  1. 落とし物への対応──「正直」と「公徳心」
    日本では落とし物を見つけたら、交番や遺失物取扱所に届けることが善行でしょう。主人公は中身を確認したうえで持ち去っており、「正直さ」や「公共の福祉を尊重する心」という点で葛藤を生じます。
  2. 迷いと決断の過程──「我が身を省みる心」
    「やる気をなくしていた」のはわかるが、拾得前後の心境変化に対する自省がない。我々の道徳では、不正と知りつつ利益を得た場合、普通ならば後に良心の呵責(かしゃく)や償いを意識するでしょう(あるいは不正と思ってないかも)。
  3. 社会への影響──「模範行為」
    大新聞の記事である点、身近な善悪の判断がまわりにも影響を与えます。拾得物を自分の利益にする行為は「まねをしてはいけない例」ではないでしょうか。一方、たとえ少額でも「届け出」を選べば、他者への思いやりや誠実さが世の中に広がるモデルケースとなります。

 この体験談は、日本の道徳観からは「落とし主への配慮」「正直であること」「公徳心に基づいた行動」が欠けていると思います。本当に尊いのは、自分の得よりもまず「正しいことを選ぶ心」でしょう。そうした行動こそが、本人の良心を高めるだけでなく、社会全体の信頼を支える礎になるはずです。新聞に載せる話であるか、甚だ疑問です。(SNS などでの反応を見たいところですが)

 こんな些細な記事に関心が生じたのは、自分自身この2日後、唐津に行った帰り電車の中に財布や免許証の入ったバッグを忘れて大慌てしたからです。バッグを無くして直ぐJRに問い合わせ、遺失物取扱窓口の連絡先をもらいましたが、どの電話番号も不通か順番待ちの状態。録音音声はしきりに専用LINE窓口での問合せを推奨するので、試してみたらチャットボットで即、当該遺失物保管の連絡が来ました。
 この間、紛失に気づいて1時間余り。今日このLINEの落とし物管理検索システムは驚くまでもないが、日本には現在でも落とし物は届けるという伝統的な道徳観と行動が根付いていることに、感謝すると共に責任を感じる次第であります。(7月22日)