投稿者:古賀 晄
「昭和20年9月21日夜、僕は死んだ」――「火垂るの墓」はこの独白で始まる。14歳の戦災孤児、清太は神戸市三ノ宮駅で衰弱死した。所持品は錆びたドロップス缶だけ。その中には4歳で衰弱死した妹節子の骨が入っていた。見回りの駅員がドロップス缶を草むらに放り投げた。缶からこぼれ落ちた節子の遺骨のまわりを蛍が飛び交う。
原作は1968年に第58回直木賞を受賞した野坂昭如氏の短編小説。神戸市の空襲で親を亡くした野坂氏の実体験をもとに制作されたスタジオジブリの長編アニメ(1988年公開、高畑勲監督)がよく知られている。過去に何度もテレビで放映された名作だが、7年ぶりに終戦80年に当たる2025年8月15日、日本テレビ系列でノーカット版が放映された。
空襲で親を亡くした清太と妹節子は必死に生き抜こうとするが、それも叶わず栄養失調で悲劇的な死を迎えていく。原作は「蛍のように儚く消えた2つの命の哀しみと鎮魂を独特の文体と世界観で表現している」と高く評価された。高畑監督はそれをアニメ映像という形で具現化しており、ジブリを代表する名作だと思う。
野坂昭如氏は、「火垂るの墓」を書いた理由を「深い贖罪の念があるから」と告白している。(1969年2月27日付朝日新聞「野坂昭如『私の小説から 火垂るの墓』)。その中で「ぼくは清太のようにやさしい兄ではなかった。食べ物を奪ったり、泣き止ませるために頭を叩いて脳震盪を起こさせたこともあった。妹の無残な骨と皮の死にざまを、悔やむ気持ちが強く、小説の清太に、その想いを託したのだ」と語っている。
テレビニュースは、今まさにイスラエルによるパレスチナ自治区ガザ市への容赦ない空爆を報じている。2025年7月末時点のガザ地区の死者数は63,034人、うち子どもの死者は18,592人。とりわけ飢餓と栄養失調による死者が増え続けている。国連はガザ市を「フェーズ5=飢饉」と公式認定した。過去20年間で世界で5例目ときわめて異例なケースだ。ヨルダン軍やドイツ・オランダなど6か国は食糧をパラシュートで投下する共同作戦を実行しているものの、食糧不足の解消には程遠く、ガザ市民は空爆と飢餓に追い詰められている。
「80年前の世界大戦では、ナチス・ドイツによるホロコーストでユダヤ人600万人もの大量虐殺を受けた。今度は加害者となってパレスチナ人に容赦ない攻撃をするのか?」と考えていると、2025年8月24日付読売新聞「地球を読む」に山内昌之・富士通FSC特別顧問の寄稿が目に留まった。山内氏は、中東・イスラム地域研究と国際関係史に詳しい日本を代表する歴史学者である。
山内氏は、イスラエルがガザを執拗に攻撃する理由の一つは「ネタニヤフ首相の保身」と斬り捨てている。「普通の政治家ならイスラエルに有利な中東の平和秩序を構築する絶好の機会が到来したと考えるはずだ。しかし、ネタニヤフ氏にとって和平は、(自身の)汚職問題の再燃やガザ人質事件の調査開始につながる。自身の政治生命がほぼ確実に絶たれる凶事なのだ。終わりのない戦争で敵を作り続け、相手に屈辱感だけを残す政治手法にゴールはない」(一部要約)と断じている。
80年前の太平洋戦争で日本は原爆、空襲、沖縄戦で民間人だけで80万人が犠牲になった。日本と同じように、ガザにおびただしい数の「火垂るの墓」を見ることになると危惧するばかりだ。(8月28日)
