投稿者:古賀  晄

 あるスーパーのレジ係の女性からこんな話を聞いた。

 30歳代後半と思われる女性が子ども3人を連れてよく店に来る。一番年上の男の子は小学校1年生くらいでその弟と妹はまだ幼い。いつも買う品物は一袋25円のもやし4袋だけ。消費税込みで108円。ほとんど毎日、夕暮れ時に来店すると決まって25円のもやし4袋だけ買っていく。

 店員がお客を詮索するのはご法度だが、働くシングルマザーのようで、子どもたちの衣服は普通だという。しかし「もやし4袋だけ」から暮らしの貧しさを想像してしまい「晩ご飯をちゃんと食べているのか気になっている」と顔を曇らせた。

 話を聞いて「一杯のかけそば」の話を思い出した。

 子ども2人を連れた貧しい身なりの女性が毎年大晦日に閉店間際の蕎麦屋を訪れる。一杯のかけそばを注文して3人で分け合って食べる。子どもの父親は交通事故で死んだという。事情を察した店主は一杯半のそばをふるまうという話しである。

《1989年に「涙なくしては読めない事実を元にした童話」としてマスコミが紹介、映画化までされたが、つじつまが合わないことや作者の不祥事もあってブームは下火になった》

 レジ係の女性が「25円のもやし」の奥に透けて見えた景色が事実かどうかはわからない。

 ただ、世の中で貧富の格差が拡大したこと、長いコロナ禍で分断と孤立を考えるきっかけになった。実際、さまざまな場面で「生きづらさ」が浮かび上がって来る。

例えば、コロナ禍の拡大で多くの非正規社員が仕事を失い、若い女性の自殺者数が増加している(警察庁調査資料より)。病気や障害のある親やきょうだいの世話をしているヤングケアラーは中学2年生で約17人に1人(2021年3月、文部科学省と厚生労働省による実態調査)。福岡県内にある約200か所の「こども食堂」は、コロナ禍で難しい運営を強いられている(福岡県こども食堂ネットワーク)。

 駆け出し記者の頃、デスクから最初に教わったのは「ネタは足で書くものだ。ネタに困ったら街を歩け」だった。そして「商店街の店主に聞いてみろ。野菜の値段が今いくらなのか、時化が続いて鮮魚の価格はどうなったか。買い物客はどんな風か。そこから見えてくるものはいくらでもある」と。

 デスクを務めるようになって、若い記者に「なにか面白いネタはないのかい?」と問うと、「探してみます」とパソコンを開いてネットサーフィンを始めた。ぶん殴ってやろうかと思ったが、「街を歩いてこい」とだけ言って叱る気力が失せた。

 天下国家を論じるのもジャーナリズムの大事な役目だ。

しかし、ジャーナリストは、目の前にある景色から眼を逸らすべきではないと思う。人は空ばかり見ていては気づかないことがある。「地を這う虫の眼」を持って社会のひずみを掴む手掛かりを探すのも記者の役目だと思うのだが。(12月27日)