投稿者:古賀 晄

 全国の百歳以上の高齢者が初めて10万人を超えたと各メディアが報じた。厚生労働省によると56年連続で過去最多を更新したという。人口ピラミッドは、高齢層が大きく膨らんだ逆三角形。2024年に65歳以上が3割を超えたが、2035年には後期高齢者が国民の5人に1人に達する。 「老い」はもはや個人の問題ではなく、社会の構造そのものを揺さぶる存在になった。
 それを実感したのは、難病で命は取り留めたものの約40日間の入院。「83歳の自分が生きていていいのだろうか?」とネガティブな感情が波のように押し寄せた。夫婦二人暮らし。パートを終えた妻が着替えを病室に届け、30分ほど雑談する。唯一の楽しいひと時だったが、「面倒をかけてすまない」という思いが強かった。妻が手続きや医師との面談、身の回りまで一手に引き受けてくれた。 その姿を見ながら、「もし妻が倒れたら、私はどうなるのだろう」と 胸の奥に冷たい不安が広がった。 老いは、数字ではなく、生活の中で静かに迫ってくる。
 同じ病院でリハビリ中の夫人の介護をしている友人が「うちも夫婦だけ。子供は遠方に住んでいる。俺が1人になったら誰に頼ればいいのだろう?」と、寂しげなまなざしで天井をみつめた。その言葉には、老いに直面した男性の孤独と恐れがにじんでいた。 老いは、家族の形が変わった社会で支えを失った人々の心に影を落とす。
 私は福岡市郊外の約80世帯が入居する集合住宅住まい。住民同士の交流はほとんどない。プライバシー優先の世界だ。3年前には夫人に先立たれた高齢者が孤独死、今春には階下の高齢男性が朝食を作る際にボヤを出した。いずれも家族はいるが別所帯だった。
 戦後、両親は3歳の私を伴って朝倉市の開拓地に入植した。稲作が可能になるまで10年かかった。ただ、入植者73所帯は戦中戦後の苦労をなめたから結束が強かった。医療は元軍医の村医者が自転車で巡回するだけだった。病人が出ると、隣近所が代わりに介護や収穫を手伝った。貧しかったけれど、お祝い事もお悔やみも集落全体による「共同体扶助」があった。
 高度経済成長の波に乗って若者は都会に出ていき、残るは開拓一世の老年がほとんどになった。この源流は、戦後の家制度の解体と高度経済成長にある。1960年代から70年代にかけて核家族化が急速に進み、 三世代同居は都市の田舎でも成り立たなくなった。地域や家族の支え合いは細り老いの問題は家庭から社会へと押し出されていった。
 その結果が「老々介護」である。 要介護者が高齢になるほど介護する側も高齢者となる。70代が80代を支え、80代が90代を支える。 体力の衰え、認知機能の低下、経済的な不安── 複数の困難が同時に押し寄せ、介護者自身が倒れる「共倒れ」も珍しくない。
 介護の受け皿となる施設や医療機関も十分とは言えない。 特別養護老人ホームは入所待ちが続き、 医療的管理が必要な高齢者は病院で長期療養するが、 病床削減の流れの中で行き場が細りつつある。 在宅、施設、医療──どの柱も限界に近づいている。
 「長生きに怯える社会」。元NHKアナウンサーで福祉ジャーナリスト町永俊雄氏は自身のブログでこう表現している。老いを恐れる社会は、やがて老いを排除する社会へと傾く危うさをはらむ。 必要なのは、老いを「社会の中心」に据える発想だ。 高齢者を支える仕組みを整えることは、未来の自分を支えることでもある。 老いを恐れるのではなく、受け止めるための制度と文化を育てること。 それが、これからの日本に求められていると強調している。(9月21日)