投稿者:島村史孝

 少子化が止まらない。2020年の日本人の出生数は84万832人で統計史上最少を更新した。敗戦を挟む混乱期の1945年に生まれた「昭和20年組」(第一期少子世代)は167万人だったから、その半数ということになる。喜寿が間近な第一期少子世代にまぎれて生きた一人として、いささか「少子」には感慨がある。
 物心ついたころ、大人たちが「昭和20年生まれは養老院まで競争がない」と話すのを一度ならず聞いた覚えがある。幼いなりに「そうなんだ」と思ったかもしれない。暮らしを立てるのに忙しい親の過剰なおせっかいもなく、少子の特権のようにのんびり育った。
学齢になって入学した田舎の小学校は4クラスだった。うち一つは養護学級で、やせっぽちの私はそこに席をもらった。30人余りの小さなクラス。身体機能にハンディのある子もいたので支え合う心が自然に育まれたように思う。中には頑丈な子もいて、一人はずっと後にプロ野球選手になっている。負けず嫌いの性分の子が多かった気がする。
養護学級は3年で解消したが、1年のときだけ、普通のクラスの倍近くある広い教室をあてがわれた。冬は後ろのスペースに大きな火鉢が据えられ、4時限目の授業に入るとき、みんなの弁当箱を金網にのせる。温まると、ごはんの湯気が弁当箱のふたを押し上げ、漂い出たおかずのにおいが子どもたちの空腹感を刺激した。
この学校の昭和20年組は5年生と6年生の2年間、男女別のクラス編成を体験している。思春期の入口をそうした環境で過ごしたことと関係があるかどうかわからないが、この世代は異性との付き合い方が極めて下手。男女ともそっぽを向いて成人した。ということで「あれ(男女別クラス編成)は実験であり、失敗だったのではないか」というのが同窓会での結論になったことがある。
少子世代を追いかけて現れたのが「団塊の世代」であった。1947年に始まるベビーブームの3年間に800万人が生まれ、彼らの成長と共に日本経済は膨張し、大量生産・大量消費時代を現出した。「養老院まで無競争」と言われて少年期を送った少子世代は、押し寄せる巨大な人口のエネルギーにのみ込まれ、芋の子よろしく洗われながら社会生活を全うした感がある。これも一つの「戦後」といえるかもしれない。
日本の戦後を象徴する団塊の世代も古希を過ぎ、現役にある人もやがて社会の一線から退いていく。超高齢社会にあってはまだ〝若手〟とはいえ、前途に横たわる世相は見通すことができる。一方には晩婚化や未婚化、女性の高学歴化などによる少子化の流れがあり、同時進行する高齢化と少子化が絡み合いながら次の時代が展開する。
それを思うと、日本と日本人はこれからどんな未来を生きていくのだろうと夢想する。いつかまたベビーブームが起きるだろうか。あるいは「超少子」へひた走るのか。先輩少子世代は気にかかる。(7月20日)