投稿者:古賀 晄

 米の小売価格が異常な高騰を続けている。総務省統計局の調査によると、全国のスーパーでの平均小売価格(5キロ)は、2025年2月が4080円。2024年4月は2185円だったから実に87%の値上がりだ。政府は備蓄米21万トンを市場に放出したが「焼け石に水」。期待したほどの価格引き下げにつながらず、「令和の米騒動」と消費者から悲鳴が上がるのも当然だ。
 この状態を招いたのは米農家の責任ではない。「政府はいったいどんな農業政策をしてきたのか?」と怒りを込めて言いたい。農家の長男でありながら早々と農業に見切りをつけた後ろめたさがあるので、ジャーナリストとしてはご法度の感情的なもの言いをご容赦願いたい。
 消費者の家計への影響とは別に、米価の高騰は米農家の悲劇的な現状を表面化させた。ついに山形県の農家が「令和の百姓一揆」を呼びかけ、3月末には東京都内でトラクターデモを実施、北海道から沖縄まで全国各地で集会やデモを展開して「農政の転換」を求める大きなうねりを作ろうとしている。
 「令和の百姓一揆」実行委員会は「自国の政府によって日本の農業は潰されようとしている。特に稲作農業は壊滅状態に追い込まれている」と主張する。「国会では最低賃金を1050円に引き上げる議論がされているが、稲作農家の時給は10円、8時間働いて80円しかならない(農水省統計局)。これでは離農者が増えるばかりで、近い将来、未曽有の食糧不足を招く」と危機感を訴えている。
 さらに農業従事者の高齢化が深刻だ。農業人口の6割が65歳以上、働き盛りの35歳未満はわずか5%だ。平均的な米農家の年間売り上げは230万円、農業機械や肥料など生産コストは平均690万円と慢性的な赤字が続く。後継者不足と高齢化は進む一方なので、若い世代を育成する大胆な国の政策が必要だと強調している。
 私も農業を継がずに“逃げた”1人だから、その過酷さは身に染みている。私が3歳だった1946年に元陸軍航空隊兵士の父と花形職業のタイピストだった母とともに旧太刀洗陸軍飛行場跡地(現朝倉市馬田町)に入植した。両親は鍬を振るって荒れ地を耕し、爆撃による大きなすり鉢状の穴を埋めて農地にしたが、痩せた土地では細いサツマイモしか採れなかった。
 開拓民73戸の悲願は「水稲を作りたい」。だが台地なので川がない。1950年ごろ共同井戸を掘り地下水を汲み上げて、やっと水稲栽培が始まった。小学校3年になると父と一緒に炎天下の水田で雑草のヒエ抜き。これが一番きつかった。台風、梅雨時期の長雨、病虫害の駆除と気が休まる暇も心配のタネは尽きなかった。高校生の頃には農業をやる気はまったくなくなった。どの入植者家庭も同様で開拓二世のほとんどは会社員になり、専業農家は現在2軒だけだ。
 26歳の時、東南アジアをめぐる長崎県「青年の船」に同行取材した。同県内から選抜された青年400人のうち約半数は農業後継者だった。彼らは研修先の農地に着くと、すぐさま土を口に含み、その舌ざわりで土壌の肥沃度を見分けた。その熱心さに驚嘆したものだが、「百姓」とは決して蔑称ではなく、「神羅万象に通じた者でなければ農業はやれないとの尊称」だと、その時に知った。「百姓」が減り農業が衰退すれば国が滅びるとさえ思う。(4月7日)